• 2006.10.16

    エコバスでコットンボールを摘む Vol.2

    昨日に続き、エコツアーの続きを・・・

    エコバスは交通量の少ない日曜日朝の首都高を順調に進み、途中車内でお互いの自己紹介やビデオなどを見ているうちに予定より早く目的地へと到着。

    柿がなる民家と細い路地、防風林に囲まれた家屋など、日本の田舎の風景が切り取られてそこにはあったが、正直、田舎レベル的には自分の実家とあまり変わらず、「ここで自給自足
    的エコ?」と驚いた。東京でも同じような場所を探すのは23区外ならなんとかなるくらいの田舎レベルである。

    さっそくEOL代表の上岡さんに畑を案内してもらう。
    ここの畑の所有者は明日の記事から登場の町田武士さんという方で、三十年にわたってこの地で無農薬のいわゆる有機農業栽培をされているのである。

    町田さんの暮らしぶりについては、著書「やまずめぐる」に詳しい。ご興味のある方はぜひご一読を・・・おもしろいですよ!

    ほてほてと皆で散策すること2分、アスファルトの路地を挟んだ右と左で雑草の生え方がまるで違うポイントにさしかかる。
    雑草生い茂る側は無農薬畑、一方は除草剤の撒かれた一般的な畑である。

    写真はリンカランの畑と上岡さん

    これを見た私の感想は・・・「農薬ってすごいじゃん」であった。

    人類の歴史は長い間、生物として生き延びるための歴史だった。
    この日本ですら昭和の時代まで餓死という問題は絵空事ではなかった。
    そんな中で、安定した食料を得るために努力した結実が農薬とその改良。

    その人類生存のための戦いの歴史がこの道路を挟んで集約している・・・

    農薬万歳とか、農薬が体に悪いとかいう問題でなく、人がいかに生き延びるために必死だったか、その思いを時間を超えて感じたと言えばいいのだろうか。

    町田さんの生き方には、えも言われぬ魅力を感じる。しかし、社会を俯瞰すれば、人間の手足は伸びすぎて町田さんのような生き方の揺りかごに皆で戻ることはできないだろう。

    だとするなら、人間はむしろ無農薬とかじゃなく、農薬の改良によってこそ生き方を模索するしかないのではないかと、実際そういう取り組みをしている心ある企業があるはずと、少しうつむきがちに思った。