• 2007.05.10

    CANPAN道場に吉田さん登場!

    今日のCANPAN道場は、課題解決シリーズの第三段メルマガによる情報発信をテーマにしたものでした。

    講師はSONYの10万人パブジーンを成功に導いた日本のメルマガマーケティングでは第一人者の吉田憲人さん

    吉田さんとのご縁は7年前にさかのぼります。

    当時、私は日本財団図書館というサイトの開発を担当していました。
    担当者として、せっかくだから何か新しい風を吹かせたいなぁ・・・という思いを持ちながら情報収集やら勉強やらする中、「ウェブマスターとしての知識もノウハウも足りない!」ということで、「ウェブマスター講座」なるものを受講しました。

    その際の講師が吉田さんでした。当時の吉田さんは飛ぶ鳥を落とす勢いのSONYパブジーンのウェブマスターとしてガリガリと仕事をされていたのでした。

    それから7年、吉田さんとは特に接点もなく時間は流れ、日本財団図書館も月間で40万人以上の方に利用してもらえるサイトに成長していく中、続けてCANPANをリリースして業務を行ってきたわけです。

    このCANPAN道場(当時はブログ道場)になんと吉田さんが参加されており、「あれ?」ということで、あらためて名刺交換をさせていただき、その後、CANPANの趣旨にご賛同いただいて今回の講演となったのでした。

    今回の吉田さんのご講演の参加者は、NPO団体の方など公益系の方もさることながら企業の方もたくさんいらっしゃったということで、いつもとは若干層が違ってもおりました。

    メールマーケティングというと、「それは商売で使う手法でしょう」となってしまうのですが、例えば、

    1)読者は量よりも読んでくれる人の質(興味の無い人に送ってもすぐに捨てられる)
    2)読んで欲しい人は個人?法人?
    3)読んで欲しい人を絞ってメルマガを届けているか?
    4)心が通わないメルマガは読んでもらえない(相手に信用してもらう)

    という項目、これは自分達の活動を周知するメルマガを送っている団体の方であれば知っておくべきノウハウです。
    人を消費行動までを促すのは大変なことですが、そのために必要なノウハウは、自分たちの活動に賛同してもらうことと同じというわけです。

    今回の講演では、そのあたりを簡単な言葉でズバリと解説していただけました。

    私が聞いた内容として印象深かったのは、

    1)サービスの提供を目的とするメルマガ(公益の多くはこれ)では、自分たちを売り込んで良い按配は9:1で、9は本当に質の高い送られた相手に役に立つ情報でないといけない。
    2)それは自分を信用してもらうことからはじめなければならないからだ。
    3)自分の団体のサポーターになって欲しいのであれば、まず自分の団体をメルマガによって信用を持ってもらうこと。

    という点です。
    前回のCANPAN道場では「団体の信用創造」ということで加藤哲夫さんにお話しをいただきましたが、メルマガもまた、読者との信頼関係を構築するための情報発信ツールであるということを吉田さんにご教示いただいたCANPAN道場でした。まる

  • 2007.04.27

    「月刊地球環境」に記事掲載

    先日、「月刊地球環境」から取材を受け、2007年4月27日発売の6月号で「CANPAN CSRプラス」について取り上げていただいた。

    CSR(企業の社会的責任)最前線を追う」という特集を組むにあたっての取材でした。

    たいへん素晴らしい特集で、さらにCANPAN CSRプラスのサイトコンセプトもとてもわかりやすくまとめて書かれてありますので、ぜひお読みいただきたいと思います。

    昨年11月オープンのCANPAN CSRプラスにも関わらず、取材を受けたり、講演のご依頼を受ける機会が多いことは本当にありがたいことと思う。

    そして同時に、CANPAN CSRプラスが果たさなければならない役割が急速に速度を増しているのを感じている。

    先日、GRIの新ガイドラインG3が発表されたが、この内容について、疑問を感じている人は多いだろう。私もその一人である。

    ガイドラインを策定する一方で、それを当のGRI自身が有料で各社のレポートの完成度について保証業務を行うという。

    目に見えにくいCSRを可視化するためのレポート作成の基準を策定し、企業が取り組むべきCSRに道標を与え、その促進に貢献してきた点においてGRIが果たしてきた役割は多大なものがあり、敬意に値する。

    しかし、このG3の改訂は、その根底に不純なものを感じざるを得ない。GRIの保証を達成するためのコンサルティングを行う会社などが儲ける仕組みでも作ろうというのだろうか?

    説明を聞いて鼻白んだ企業担当者は多かったことだろう。

    ここまでするなら「G3は格付けのための改訂であり、次はSRIだ」と明確に打ち出すほうがよほど健全な気がしてくる。評価そのものだって、決して悪いことではないだけに残念でならない。

    CSRは、社会が企業の取り組みを理解し、支援するという市民参加型でなければ意味が無いし、継続性も期待できない。つまり、市民がCSRに取り組む企業のブランド価値と経営の安全性を認め、その企業の株や商品を買うという仕組みが必要なのである。

    そこで初めて、社会にとって良い企業を市民が支えていくという優れたサイクルが動き出す。
    これがCSRというものが本来持っている社会を変える力につながるのだ。

    したがって市民には理解できず、専門家しか理解できないような「CSRレポート」などがいくら巷にあふれても、それこそ紙の無駄遣いとしか言いようがない。

    「わかりやすいCSR」を目指そうとして、各企業が自社のホームページでそれを展開すると、それは単なる「広告」である。社会からは「また偽善的なこと言っちゃってー」と斜に構えられてしまう。

    したがって私は自社のCSRの周知は第三者による「広報」によって広まることこそが「王道」であると思っている。つまり第三者にプラス評価されて初めて企業のCSRは本当に社会に受け入れられていくということだ。逆にあら探しの評価は今の段階ではせっかく出てきたCSRの芽を摘む害悪にすらなる可能性がある。

    その評価のための情報として、社会と企業との「共通言語」が必要であり、そのツールの一つとしてCSRレポートが機能しなければならないのだが、GRIの路線は真逆を行こうとしているとしか思えない。
    コンサルティングを受けなければ完成しないようなガイドラインでできたレポートを市民が理解できるはずはなく、「A+」とか「C」という結果だけが世に広まることとなるだろう。

    そもそもISO26000の議論が進められている中ではあるが、歴史も文化も、倫理観すら違う多様性のある世界の中で、一つの「CSRの世界基準」というのは無理があるように思う。

    宇宙船地球号の乗組員は、それを目指す努力をもちろん続けなければならない。しかし、憲法が国ごとに違うように、そしてその独自性を他国が尊重するように、CSRもまた国ごとに有り様があっていいのだろう。

    日本のCSRは今のところ日本型というよりは欧米の洋服を無理やり着ようとしているようだ。
    日本社会に今ひとつCSRが理解されにくいのはこのあたりにも事情があるような気すらする。

    CANPAN CSRプラスが近江商人の三方良しという概念を取り入れているのは、この日本社会と企業との「共通言語」となる情報インフラを提供したいという思いからだ。

    CSRが流行りと言われながらも、今のところ、社会は企業がせっかく取り組んでいるCSRをまだまだ理解できていない。また、企業ごとのCSRに対する理解度もおそろしいほどバラバラでもある。

    それは、まずは情報を共有することからしか入りようがない段階にいるということだ。
    したがって、CANPAN CSRプラスでは、第一フェーズとして情報の共有化を図る仕組みの提供を行っている。

    「NPOと企業との協働」という理想形も、今はまだ黎明期であるとしか言えないと思うが、それもここに理由がある。NPOの側ももっと自分たちの活動に対する理解を社会に求めるための情報公開が必要で、企業のCSRを学ぶ必要もある。

    企業の情報開示とNPOの情報開示、この二つが両輪となって社会への理解へと走り出した時、日本でCSRを取り巻く環境や市民活動のステージは大きな変革期を迎えるだろう。

    これはCANPANとして考えている公益活動をサポートするための重要な戦略、つまり小さな政府の実現によって求められる「民が民を支える社会の実現」に向けたメインフレームの一つである。

    CANPANとCANPAN CSRプラスという二枚看板の意味も、そこで初めて大きな意味を持つと考えている。

    最後に、「月刊地球環境」の編集長である松田氏に心から感謝申し上げます。

  • 2007.04.27

    CANPAN道場に加藤哲夫さん登場!

    今日はCANPAN道場の第12回が開催されました。

    今回のテーマは『みんみんファンドの秘密がいま明かされる!~NPOの信用創造機能とは?』ということで、せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫さんにご登壇いただきました。

    毎回、素晴らしい講師の先生に快くお引き受けしていただいているCANPAN道場(謝金はありません。)、今回の加藤さんのご講演もまた素晴らしい内容でした。

    非常に内容が濃いお話しでしたので、私からダイジェスト・・・というのがもったいない。

    ですので、後ほど「日本財団図書館」のほうで映像化してウェブでご覧いただけるようになりますので、ぜひこちらをご覧いただければと思います。(過去の道場はすべてご覧いただけます。)

    加藤さんのすごさをまた一つ目の当たりにした道場となりました。加藤さん、ありがとうございました!笑顔

     

  • 2007.04.26

    恐竜の絶滅とマヤ文明

    昔から古代文明、特に南米系の文明が好きなので、先日、テレビの「地球ふしぎ発見」のマヤ文明特集を見た。

    その中で、「セノーテ」と呼ばれる淡水の池の話が出てきた。
    マヤという文明は非常に興味深い点を数多く持っているが、最初にマヤ文明の地理的条件を無視することはできない。

    マヤ文明は今のユカタン半島を中心とした文明だが、文明が発祥する最も重要な要素である「水(淡水)」の存在を世界地図上では確認できない。

    人間が定住し文明を築くには、安定した水源がなければならず、四大文明はもとより、全ての文明にとって「水」は命である。

    そんな中で、マヤという巨大文明を支えたのは大河でもなく、雨でもなく、「セノーテ」と呼ばれる池であった。

    この「セノーテ」は、小さいものも合わせると数千とも言われる数のあまり大きくない池で、水の透明度は高いが、水深が深いため湖底を見ることはできない。

    そのため神聖な場所として崇められてきたセノーテであるが、番組によれば、最近の調査で実は550kmにも渡ってつながる地下水脈であったことがわかったそうである。

    その地下水脈ができた理由が、隕石の衝突によってできた大きなクレーターの窪地に石灰質の土砂が積もり、長い年月をかけて中が水が溜まって石灰が溶けて空洞化、いわゆる鍾乳洞状態になって強度が無いところがズドンと落ちて池が地上に現れたということであった。

    ここで、ふと「ユカタン半島に落ちた隕石・・・恐竜の絶滅につながったあの巨大隕石かな?」と思い、調べてみたところ、それらしい記事を見つけることができた。

    マヤは暦と優れた建築技術を持ったすばらしい文明であったが、6500万年前という時間がそんなマヤを生んだという事実に妙に感動してしまった夜であった。笑顔

    写真はこちらのサイトからお借りしました。

  • 2007.04.23

    オタクと宗教について考える

    久米繊維工業株式会社 社長の久米さんからありがたいお誘いをいただいて、「オタクについて、ゆるくも真面目に考える」勉強会に参加させていただいた。

    勉強会のタイトルは、勉強会の正式名称自体がまだ決まっていないこともあって、とりあえず勝手にそんな感じの勉強会だったという名前を名づけただけなのでご容赦ください。。。

    最初に「オタク市場の研究」という本を出版された野村総研さんからのお話しを伺い、その後ディスカッションを行った二時間であった。

    そこで説明を受けたマーケットを活性化させるためのフレームとして、

    イベント
    聖地
    伝説

    という三要素が必要という話がとても興味深かった。

    マーケティングフレームとして、通常の4Pに加えた3C、「収集(Collection)」、「創造(Creative)」、「コミュニケーション」という3つを加えたものをメインとして、先述の三要素はその補助フレームという位置付けであった。

    参加者から「オタク市場の場合、補助フレームの三要素がむしろメインではないか」というご指摘があったが、これは私も全く同感であった。

    それはさておき、この三要素としてのキーワード、私は宗教を連想した。他の参加者からもコメントがあったので、宗教を連想したのは私だけではなかったようだ。

    浄土真宗という、現代では曹洞宗に次いで信者が多いと言われる宗派がある。親鸞が開祖の宗教であるが、この浄土真宗は、戦国時代に織田信長と戦った一向一揆の元締め、本願寺蓮如が出現しなければ現代まで伝わらずに消えていた可能性もある宗派である。

    この蓮如は、まさにこの三要素を布教に使い、風前の灯であった浄土真宗を現代につながる隆盛に導いている。オタクの市場理論と蓮如の行為が完全に重ねうるのは、心の傾倒というオタクと宗教とに共通する要素が濃いからであろう。

    さらに思う。

    日本人は無宗教だと言われる。
    たしかに宗教という視点で見てしまうとそうかもしれない。しかし心理学的に見ると、もしかすると著しい多様性があるだけで、一人一人が心にオリジナルの宗教を持っているだけかもしれない、とふと思った。

    要は崇拝しているものが宗教的な神以外の何かというだけの話で、それが今回の勉強会の中で出たモー娘でもいいだろう、鉄道でもいいだろう、ポケモンでもいいのかもしれない。

    行動様式の多様化と共に、八百万に神が存在するとした日本人が古来から持つ許容性がオタクという形でさらに顕在化、心のよりどころが宗教上における神ですらなくなっただけではないのか?

    とすれば、日本人は世界が理解できないだけで、とてもユニークな宗教観を有していることになる。
    その宗教観が今、「Japan Cool」として世界にもてはやされる「オタク」への憧憬の原動力になっているのではないか? そうすると、あの熱狂性も理解できる。

    全然話は逸れてしまうが、先日、真言宗の総本山「金剛峯寺」の東京別院でマンガ「北斗の拳」の主人公の兄「ラオウ」の葬儀がしめやか(?)に行われ、3000人のファンが追悼したそうで。。。マンガの設定として、「北斗神拳」は一子相伝、それを日本に伝えたのが空海の弟子なので真言宗ということで。。。うーん、生きていて楽しい時代である。

    それさておき、「オタクは日本の宝」と締め括った野村総研さんのお話しには深く首肯できた私でした。貴重なお話しをありがとうございました。

    写真は「石橋美術館」のHPよりお借りした「「丹霞焼仏(たんかしょうぶつ)」の図(国宝)

    なぜこの絵なのかわかったオタクな方、ぜひコメントください。