2008.05.19
「スーパー広報術」というサイトのメルマガで「CSR広報の時代」という連載をさせていただいています。
その内容を一部リメイクしてこちらに掲載いたします。
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■CSR報告書の意義をあらためて問う
2008年は、洞爺湖サミットも開催されることから、「環境」をテーマにした社会的な動きが広がっています。「持続可能な社会の実現」ということが一つのキーワードとなっています。
世界的にみるとISO26000という新しい取り組みが進められていますが、その中では、「環境保全」ではなく「環境変化への対応」という表現が盛り込まれるなど、持続可能な社会はあらたな側面を迎えつつあります。
このような社会的な背景もあり、各社では、株主総会に向けた資料の一つとしてCSRまたは環境に関する報告を求められており、それに間に合わせるため、従来よりもタイトなスケジュールで報告書を作成しなければならない状況にあります。
他者に対しては何事にも厳格さを求める昨今の社会では、CSRに関する事柄も年々項目や注意すべき点が増え、CSR報告書には様々な内容を盛り込まなければならなくなってきました。
結果としてCSR報告書は分厚くなる分、以前にも増して制作にコストがかかる 一方、読む側にとっては専門性が高すぎて読みにくいという状態になってしまっています。
環境gooの調べによれば、数年前までの報告書の読者の意見で一番多かったのは「良いことばかり書いてあって信頼できない」でした。それがこの一年ほどは「専門性が高すぎて読めない」に変わってきています。
「環境に配慮し、紙を削減するため報告書はすべてウェブ化しました。ぜひホームページからご覧ください」という企業も増えています。実際にウェブサトを見るとPDFファイルが添付してあり、それを開くと何十ページもの報告書が開きます。
これをパソコン上だけで読むのは大変ですので、自分でプリントアウトして読むことになります。つまり、「紙がもったいない」のはその会社のコストの話であって、必ずしも紙に関して環境への負荷が下がっているわけではありません。
もちろん紙になっている報告書を入手するためには発送というような物理的移動が伴いますので、その運動エネルギー分のCO2は削減効果はあります。
そのファイルがダウンロードされた回数を取得すれば、どれほどの報告書が読まれているのかがわかりますので、コスト計算も容易です。
これは相当に勇気が必要かもしれません。なぜならダウンロードされた回数だけを見れば、一冊にかかるコストはとんでもない値段になるケースがほとんどだからです。
人件費を含めて制作にかかった全コストに対する一冊あたりの単価が5,000円以下でしたら、その報告書に対するコストパフォーマンスは素晴らしいと言えます。
そこまで費用をかけて企業はCSR報告書というもの世の中に提示しなければならないのでしょうか? それで何を報告しようとしているのでしょうか?そして報告書を出していない企業は信頼できないと誰が言っているのでしょうか?
■CSR報告書優等生の憂鬱
自分たちが取り組むCSRを第三者に正しく周知することがCSR広報の最大のテーマの一つですが、「正しく」というところがポイントです。
なぜなら、CSR広報は、「社会の中で自分たちがどのような役割を果たそうとしているのか」を訴え、社会から応援してもらえる会社を目指すために行うことが前提であり、そこには社会とつながり続けるための信頼づくりが必須だからです。
ですから、きちんとCSRに取り組んでいる企業は声を大にして自分たちの優れたCSRの取り組みを周知してほしいと思います。その場合、日本人の美徳である「陰徳」という考え方をする必要はありません。
なぜならCSRとは陰徳ではないからです。これを誤解して「CSRを声高に宣伝するのはいかがなものか」と思われている方が多いのは、「CSR=社会貢献」と思っている人が多いことの証です。
しかし、CSRとは先述のとおり、企業がこれからも存続し、または成長していくために不可欠な取り組みなのですから、堂々とやっていることを周知すべきであり、そのほうが株主に対しての説明責任も果たせることになります。
だとすれば、その一環として考えられている「CSR報告書」はどのような役割を期待されるべきものでしょうか? それは就職活動時の履歴書のようなものと考えるといいと思います。自分がどのような人間であるかを特定の項目に沿って記載することで、相手に自分の基礎情報を提供するだけのものです。
そこから人間性のようなものはあまり見えてきません。つまり人生観であるとか、思考性というようなものはわかりませんが、最初にその人を知るためのフックとして、履歴書は重要な役割を果たします。
これにあたるのが「CSR報告書」です。しかし履歴書だけを見て人を採用する企業が無いように、CSR報告書だけを見てその企業を応援してくれるほど社会は報告書から全てを読み取ってくれません。
したがって、その信頼のベースとなる情報提供ツールとして「報告書」が必要だとすれば、それは求められている客観的データに基づいた内容をミニマムなコストで提供するにとどめ、専門家に聞かれた時に答えるためだけと割り切ってしまってよいでしょう。(この場合、専門家向けである分、それらの数値データの信頼性は必須です) そして他のリソースは社会から信頼を得るために必要なCSR広報に割くほうが費用対効果も高く、株主の満足度も高いでしょう。
つまり「CSR報告書」は装丁なども立派に作り込むことは必要が無く、最近のCSR報告書に見られる「読んでもらえるやさしい報告書」的な、いわゆる「CSR報告書優等生」にならずとも問題はありません。
それよりもそれらのCSRに関する取り組みのうち、何を応援してもらいたいかを明らかにし、それらについて広報することで社会に理解を求めていくために何をするかにこそ意を用いるべきであり、コストをかける意味があります。
人の芝生はよく見える、ではないですが、立派に作られている他社のCSR報告書と同じようなものを自分たちも作らなければならないというような強制観念にとらわれることなく、専門家向けに事実が淡々と列記されたCSR報告書をローコストで作ることをおすすめします。
■ここがポイント■
1.CSR報告書は年々分厚く、美しくなる傾向にある
2.CSR報告書は社会との信頼を築くための履歴書
3.CSR報告書ではなくCSR広報にリソースを割くべき
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