• 2011.11.18

    ヤマトHDがグランプリ、東日本大震災支援でCSR大賞

    東日本大震災の災害支援では、現在も引き続き多くの企業が社会貢献として様々な活動に取り組んでいます。

    その中でも、存在感のある活動を展開している企業の一つが宅急便のクロネコヤマトで有名なヤマトホールディングス株式会社(以下、ヤマトHD)です。

    東日本大震災発生初期、被災地は道路寸断とガソリン不足により陸の孤島と化し、大きな問題となっていました。

    そのような甚大な被害の中、陸送のプロである彼らはグループ企業一
    丸となった「みんなのチカラプロジェクト」を打ち出し、3月23日から
    車両200台と社員500人で編成した救援物資輸送協力隊で支援活動を行
    いました。

    そして、現在も続く「宅急便ひとつに、希望をひとついれて」をキャッチコピーとした「宅急便1個につき10円寄付」を決定します。これはヤマト運輸の前年度の取扱い個数から想定すると総額約130億円、これはヤマトHDの予想連結純利益の約40%を寄付することになります。

    12月末までに約110億7800万円を集め、ヤマト福祉財団を通じて宮城県南三陸町の仮設魚市場の建設や岩手県野田村の保育園建設などにすでに寄付をしています。

    これらの活動が市民に高く評価され、ヤマトHDは、日本財団が毎年実施している市民の投票によるCSR大賞でグランプリを獲得しました。

    ■ヤマトホールディングスがグランプリ 東日本大震災支援でCSR大賞■
    http://blog.canpan.info/koho/archive/1605

    この受賞にあたり木川眞社長は「社員全員が参加し、私たちのあるべき姿(社会的責任)を形として示すことができた。」と語られました。

    この取り組みが社会の共感を生むことができた理由として、寄付そのものはヤマトHD負担ながらも、消費者自身が宅急便を利用することで被災地支援に参加できる仕組みとして展開したことが挙げられます。

    近年、本業を通じた社会貢献の在り方が叫ばれる中、社会からの共感を生みながら取り組みを展開しているヤマトHDの活動は、多くの示唆を私達に与えてくれます。

  • 2011.10.24

    積水ハウスの震災支援とCSR

    東日本大震災から半年、様々な課題が話題となっている仮設住宅ですが、積水ハウス株式会社(以下、積水ハウス)が建築を担当した仮設住宅は高い評価を得ています。

    今回は、本社が大阪府にあるこの積水ハウスが、阪神・淡路大震災時の経験を活かして東日本大震災で行った社会貢献活動を見てみたいと思います。

    まず、震災当日から被災地への緊急物資支援を実施、飲料水など約35万リットル、食料約40万食、毛布1万枚など膨大な物資を自衛隊や行政よりも早く避難所に届けています。

    そして、避難所に支援物資を届けた従業員が避難者家族の安否確認を行ったり、下水が使えないエリアで仮設トイレを設置するなどを同時に行っていました。

    これらの迅速な対応は、普段から住宅メーカーとして顧客と直接つながるような仕事の仕方をしていなければできないことであり、震災という特殊な状況であるからこそ、それが活きた好例と言えます。

    さらに、福祉系団体のメーリングリストから物資の支援要請をキャッチ、ネットワークを通じて協力を依頼、それを産官民連携の「あいのりプロジェクト」として発展させ実施しています。

    コーポレート・コミュニケーション部CSR室長の広瀬雄樹さんは、「住宅メーカーとして最も期待されがちな仮設住宅の建築というのは仕様が決まってしまっていて、実は本領を発揮しにくいのです。」と語ります。

    仮設住宅建設という本業でも迅速な成果を期待をされている積水ハウスが、同時に社会貢献活動でも多大な功績を上げ得たキーワード、それは、普段からの社会とのつながり方にあることを私たちに教えてくれるのです。

  • 2011.07.20

    マテックス株式会社が取り組むCSR

    私たちが当たり前のように享受していた安定した電気の供給、それがいかに危うい砂上の上に成り立っているものであったかを今回の大震災は教えてくれました。
    今夏、私たちは様々な我慢を強いられる夏となるでしょう。

    しかしそれは、「限りある資源」と言葉では言いつつも、自分たちが生きている時間軸の中では無限にあるような錯覚を持ってきた私たちを現実の世界へと引き戻してくれる貴重な試練であると言ってよいものなのかもしれません。

    そして、自分の家を流された多くの方々が仮設住宅へ引っ越しをするのも、この夏にかけて一気に進んでいきます。

    私は現在、被災地の仮設住宅の実態を調査していますが、一言で仮設住宅と言っても本当に多様な仮設住宅が存在します。そこは建設を請け負ったそれぞれの業者の仕事への取り組み方が如実に出ている現場でもあります。

    今回は、私たちのすぐ身近にありながら、なかなかその効用に気づくことのない「窓」とその「窓」がもたらす効用について真摯に取り組むマテックス株式会社(以下、マテックス)をご紹介したいと思います。

    マテックスは、「窓を通じて社会に貢献する」を経営理念とし、付加価値の高いガラスやサッシなどの製造を行っている会社です。

    彼らの商品の一つに「エコ窓」という窓ガラスがありますが、日本の住宅の窓をすべてこの「エコ窓」に替えれば、1700万トンのCO2削減につながり、これだけで京都議定書の削減目標6%のおよそ4分の1を達成できるそうです。

    仮設住宅の大きな課題の一つとして、入居者の高齢化率が高い中にあって、断熱性の低い室内での熱中症が懸念されています。しかし、この「エコ窓」のような窓を導入して窓からの断熱性を高めることができれば、このリスクも大きく軽減することができるでしょう。

    マテックスの社長である松本浩志氏は、「窓の断熱性を高めることで、年間14,000人に及ぶ高齢者の突然死を減らすことが可能」と、窓の持つ社会性の高さを熱く語ります。

    高い技術力によってエネルギー効率の高さを社会に提供することそのものも貴重なCSRの取り組みの一つと言えます。

    しかし、マテックスの取り組みで最も注目すべきは、それによって社会課題を解決しようとする姿勢と実行であり、それこそがCSRの本質的要素であるという点です。

    今後、企業のCSRとして社会課題の解決を本業で行っていくことはますます注目されていきます。
    マテックスの取り組みはその良い事例の一つであると言えます。

  • 2011.03.12

    東日本大震災当日の話 ~その5~

    大震災当日の締めくくりとして、自分が所属する日本財団の当日の対応について、深い自戒の念と共に、書いておきたいと思う。

    11日の深夜(正確には12日の午前4時)、私は全役職員宛てにやるせない気持ちでメールを送った。

    それは、日本財団が日本財団ビルのある赤坂周辺を含め、多くの帰宅困難な方々が出ているにも関わらず、一切、それを助けることもなく、休憩場所も提供せず、ひっそりと一夜を明かしてしまったという事実について、「人を助けることをミッションとする組織のあり方はそれでいいのか?」という自戒も含めた残念な思いを吐露するメールだった。

    私は、実は当然、そういう動きが日本財団ビルで行われているものだと勝手に思い上がっていたのだ。
    しかし、そんな動きは全くなかった。

    多くの日本財団職員も帰宅困難者となり、ビル内に泊まっていたにも関わらず、全く何も、人助けのためのアクションをしていなかったという事実に落胆は大きかった。

    しかも、各省庁をはじめとする公共施設はその方々に次々と受け入れを表明、会社やコンビニなどもそれを手助けしている中で、最もやらなければならない組織の一つである日本財団が何もしていなかった。その存在意義を考えた時、それはあってはならないことだ。

    しかも、日本財団ビルの地下二階には、万が一の時のために非常用物品の備蓄があり、毛布もあれば水もストックされている。

    それをこんな時に役立てず、一体いつ使うつもりでいるのか? ということを苛立ちと共に書いた。

    そんなメールを役職員に送っても仕方のないことは重々承知だった。これだけの災害が発生し、自分もある意味被災者となった時、そんな冷静に組織として今すぐに何をすべきかに思いを巡らせることができるほうがむしろ変なのだということはわかっている。

    それでもなお、自転車で走る中で見た、黙々と秩序立って歩いて行く多くの帰宅困難な方々の後姿を思い出すと、何度も悔しさがこみあげてきたのだ。

    自分が一言、日本財団ビルに立ち寄って、それを伝えていればきっと動いてくれたであろうことは間違いがない。単に誰もそれに気付く余裕がなかっただけなのだ。

    しかし、取り返せない時間と共に、その機会は失われていた。

    とすれば、「ここから日本財団は何をするのか」、それこそが本当に問われる時間が迫っていた。

  • 2011.03.11

    東日本大震災当日の話 ~その3~

    震災からわずか6時間という異例の早さで「東北地方太平洋沖地震支援基金」が立ち上がったことは決して偶然の産物ではない。

    これまでCANPANプロジェクトが行ってきた全ての事業がつながってここに集約された結果と言える。

    CANPANプロジェクトに関わってくれているスタッフは、まだ余震が続く中でバナーを作ってくれたり、文言をお互いにチェックしたり、クレジットカード決済システムとの連携を含めて、本当に必死でがんばってくれた。

    不安だったスタッフもいたと思うが、そんなことは一言も言わず、ただひたすら夜を徹して作業をしてくれたのだ。これはミッションを共有している者たち同士でなければ決してできないことであった。

    そしてこの基金を立ち上げて数時間も経たないうちに、すでに何万円もの寄付が集まり始めていた。

    この浄財は必ず現地で、それこそ命がけでがんばるNPOの皆さんに届ける、そんな思いを強くしながら朝を迎えた。

    この一連の時間、CANPANセンターの事務所自体に人は居らず、帰宅できる者は帰宅し、遠方で帰れない数名は近くのCANPANプロジェクト協力カフェでもある「フォレスタ虎ノ門」さんに避難、自分は自転車を駆って、帰宅難民となった人達が秩序だって黙々と歩く姿に感銘を受けながら街の様子をリサーチしつつ自宅に戻っていた。

    これは、リスクの点で組織機能を分散させるという意味があった。
    CANPANセンターはこの非常時でもクラウド組織として機能できる。そう信じての分散だったが、それを確認することはできた。

    ただ、余震の続く中での分散は、リスクを伴う判断だったと言わざるを得ない。
    事務所のビルが耐震構造のビルならともかくリスクがあると言うのだから、今夜中にやるべきことをやるには、他に採る選択肢も自分にはなかった。

    そんな中で、非常時にこそ機能するCANPANプロジェクト、という自分の思いを他のスタッフも持っていてくれたことが何よりうれしかった。

    ちなみに、家では、愛犬も一人で留守番していたが普通に元気で出迎えてくれ、倒れたものと言えば飾ってあったKING OF POPのマイケルのフィギュアが倒れていた程度だったが、熱帯魚の水槽の水回りはそれなりの打撃を受けてしまった・・・困った

    震災に強い家を目指してかなりこだわって自ら設計した家だが、この、趣味の領域だけは、リスク管理が難しい・・・とあらためて思った・・・ダメ