• 2007.08.15

    終戦記念日に思うこと

    この時期になると、自分が読む本は昭和史的なものに偏る。

    それは何回も読んだものであったり、初めて読むものだったりするが、自分なりに60年前の戦争がなぜ起き、あのような結果を招き、そして今の日本につながっているのかを考える必要を感じていて、毎年行う習慣のようになっている。

    日本という国は長所も多いが短所も多い。
    ビルが空へ向かって高く伸びれば伸びるほど、引く影も長く長くなる。
    国の有り様もまた、そのようなものかもしれない。

    先の大戦と前回の参院選で似ている点がある。
    それは、国の大事が、くだらない政党間の争いによって蓋をされてしまうという事実である。
    そして戦前のその蓋は、国を転覆させる腐臭を放ってようやく開けられた。

    ロンドン軍縮条約批准時、政友会の鳩山一郎は、統帥権干犯を持ち出して民政党をやり玉にあげた。

    当時の日本が置かれた状況を鑑みれば、統帥権干犯など関係なかった。もっと大きな意味を条約は持っており、それに対して日本はどういう国際戦略で乗り切るのかを議論すべきであった。

    参院は国家の要諦を決める重要なセクションだ。今回の参院選は問題が山積する現在の日本と、その国民の生活の今後に大きく関わる重要な選挙だったはずだ。

    戦争でこそないが、日本が置かれた困難な国政の舵取りをどうしていくのかを国民一人一人が考え、託すべき人を選ぶものではなかったか。

    ところが実際には民主党の論点のずれた自民党への攻撃が功を奏し、自民党は歴史的な大敗を喫してしまう。

    民主党は参院の持つ意義と共に国家の大計を論じていたか?
    赤城氏の事務所費問題、これが国の舵取りと何の関係があるのか?

    国の行く末が、一大臣の事務所費の経理処理問題によって容易に論点がすり替えられてしまう。
    この日本国民の政治感覚の鈍さ、私たちは過去の戦争から何を学んできたのか?

    お金の問題だけにフォーカスして言うなら、日本は先進国一の借金大国、国民一人あたり600万円以上の借金を抱えて国というものが運営されている。民間企業ならとっくに倒産している。

    そして、なんと1秒間にその借金は19万円ずつ増えている。
    これを財務省がホームページのトップで「借金時計」を掲げ、増える様子をリアルタイム表示するという。この英断には敬意を表したい。

    この借金と赤城氏の事務所費問題、どちらが我々国民にとって考えなければならない重要な問題か、そんなことは自明であるはずではないか。

    66年前、日本は世界から孤立して勝てないとわかりきった戦争へ突入した。
    その際、世論は戦争賛成に傾いていたという。

    当時の日本の選挙システムと今のシステムとは若干違うが、世論が味方せずして大きな国の舵取りができない点ではさほどの差はない。

    戦争が始まった以降のことは為政者と軍トップにその責を求めうる。
    だが、戦争を始めたこと、または始めざるを得ない状況を作ったことに国民に責が全くなかったとは言えないように思う。少なくとも統帥権を持つ昭和天皇は戦争など望んでいなかった。

    今は、当時以上に日本国民は国の政治に対して権力と責任を負っている。
    よく言われることだが「権利と責任はコインの裏と表」だ。権利ばかりを主張するのはまともな社会での有り様ではない。

    終戦記念日、多くの戦没者の方々へ哀悼の意を表すると共に、これからを生きる自分たちが歴史を振り返り、世界と日本と、その将来のために何をすべきであるのか、皆さんと一緒に考えていきたい。

     

    写真はこちらよりお借りいたしました。
  • 2007.08.13

    自社の誠意の伝え方

    スーパー広報術」というサイトのメルマガで「CSR広報の時代」という連載をさせていただいています。

    その内容を一部リメイクしてこちらに掲載いたします。

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    ■誠意ある企業は自然にCSRに辿り着く

    前回の号で、ミートホープの「食肉偽装事件」を取り上げ、経営者として社長が何をするべきであったかを書きました。
    相変わらず今回のような企業の不祥事は後を絶ちません。一つの指標としてこれを刑法犯の発生率と比べてみましょう。

    平成17年度の犯罪白書を元に、交通関係を除いた一般刑法犯の発生率(人口10万人あたりの認知件数による比率)を単純な仮定の下に計算すると、一年の間で日本人の100人に2人は何らかの犯罪に巻き込まれているという恐ろしい結果になります。

    企業を一人の人間に見立て、不祥事を犯罪に置き換えて考えた場合、日本に存在する企業数からすると、犯罪の発生率はかなり低いと言えるかもしれません。
    不祥事を起こす企業を肯定するつもりはもちろんありませんが、「不祥事を起こす企業は無くならない」という現実を私たちは常に頭に入れておく必要があるのも事実です。

    それは、どのような法的整備をしようと同じことです。死刑になるとわかっていても犯罪を犯す人間はいます。組織が人の集合体である以上、これもまた避けられないことと言えるでしょう。特に集団心理的には、一人では犯罪を犯せなくとも、組織がそれを助長してしまう場合すらあります。

    余談が長くなりましたが、不祥事を起こすような企業と誠意ある企業というものが社会に併存しているとすれば、自分たちが誠意ある企業であるべきことは自明として、当然「誠意ある企業」と付き合っていきたいものです。それはリスク管理に直結します。

    ここで言う「誠意」を「CSR」と置き換えてもいいかもしれませんが、CSRは手段的な意味も包括される場合がありますので、上位概念的に「CSRの実践にはまず誠意ありき」ということになるでしょう。

    この、例えば委託先の企業に誠意はあるか、を客観的に見るのは非常に困難です。「CSR」が世界的に注目を集めている背景には、このような客観性を判断する指標を誰もが欲しがっているからでもあります。CSR広報では、この点を盛り込んでおくことが重要です。

    ■伝えにくい「誠意」をどう伝えるか

    先の参院選で、多くの候補が「誠意を持って政治に取り組む」と謳っていました。皆さんはそれを聞いてどう思われたでしょう?「おお、誠意があるなぁ」と思われたでしょうか? 「またきれい事を・・・」と思われたでしょうか?

    おそらく後者の方が多いのではないかと思います。それはなぜでしょうか?政治への不信という大きな要因があるとしても、孔子が2500年も昔に指摘していたように「巧言令色鮮し仁」ということを、私たちは心で理解しているということでしょう。

    「誠意」は「信用」と同様に、相手に理解してもらうことはとても大変です。
    なぜなら本来は行動によってしか示すことができないからです。いくら言葉を尽くしても行動に勝る納得感を相手に与えられるものではありません。

    それだけに、誠意のある企業は自ずとCSRの王道を進んでいることが往々にしてあるということであり、それを特別なことと本人たちが意識していない場合が多いのもこのためです。

    では、どうやって誠意をCSRとして人に理解してもらえばいいのでしょうか?
    または、CSRの展開の中で誠意をどのように盛り込めばいいのでしょうか?
    最も効果的なのは利害関係の少ない第三者から自社のCSRを褒めてもらうことですが、よほどのプロモーションか、運が良くないと非常に時間がかかります。

    そこでおすすめなのは、自社だけではなく、第三者を巻き込んだCSR活動を展開し、それをお互いに広報し合うことです。

    次回は、その具体的な手法について書きたいと思います。

    ■ここがポイント■
    1.企業の不祥事が起こった数だけCSRが要求されていく
    2.CSR広報では「誠意」を伝える工夫が必要
    3.自社のCSR活動に第三者を巻き込むことで効果的な広報を!

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  • 2007.08.07

    「萌え~が地球を救う」 「うち水っ娘大集合!’07」に参加

    秋葉原の夏に開催されている「うち水っ娘大集合!’07」というイベントをご存知だろうか。

    これは、ボランティア団体である「うち水っ娘大集水合!実行委員会」が主催するイベントで、今年で四年目となる。

    先月、この委員会の実行委員長である真田さんをご紹介していただく機会があり、あれこれと話しをしていて、「イベントが8月にあるのでぜひ遊びに来てください」とお誘いを受けた。

    個人的に秋葉原は、真田さんと同じくそれこそ子どもの頃から通っていた大好きな街の一つだが、バブル崩壊後のアキバ革命(個人的にそう呼んでいる)でアニメやフィギュア、トレカの専門店が電気店に取って替わる中で、マンガは好きでもアニメやその他にはあまり興味の無い自分としてはほとんど足を運ばなくなってしまった。

    しかし、「JAPAN COOL」と呼ばれ、アニメを中心として海外からも注目を集め、古くからの電器系とも共存しながら新カテゴリで復活を果たした秋葉原は、資源立国ではない日本にとって、世界で生き残るための非常に重要な示唆を国内に示していると感じ、別視点でリサーチを続けてきた。

    そんな中で出てきた「萌え~」の文化・・・これは、、、正直に言うと個人的にはだいぶ辛いものがあって、テレビの映像を見ても何も「萌え」ない・・・ということで、秋葉原を代表する「メイドカフェ」には、残念ながら行く機会はなかった。日本はおろか世界に冠たる知名度の秋葉原発のカフェスタイルであるにもかかわらず。。。困った

    で、真田さんがそのメイドさんが大集合するイベントの実行委員長というこの奇縁、猛暑萌え盛るアキバに出かけた。

    各メイドカフェから集まったメイド姿の店員さん約60名がずらりと並ぶ姿は、「こりゃ萌えたい人にはたまらないよね~音符」という言う以外になかなか筆舌に尽くし難い光景であった。

    メイドさん達がずらりと並ぶ周囲にはファン(?)が幾重にも取り巻き、中には全身スターウォーズのストゥームトゥルパーの格好をしてる人(間違いなく中はサウナ状態。。。君の忍耐強さにはダースベーダ卿もお喜びかと)や、たぶん男だけど、なぜかメイドさんの格好してる人とか、「萌え~」と書かれたヘルメットの人とか、色々とユニークな人がいて、それを見ているだけでも面白い。

    そして中心にいる実に様々なスタイルのメイドさんの服装のバリエーションには本当に圧倒されてしまった。(メイドさんスタイルってこんなにたくさんあるのかと。。。)
    たぶん個々のお客さんの趣味に応えられるようにできているのだろうと思われ、かゆいところに手が届く細かいアイディアと、その実践には頭が下がる。

    オタク文化はこだわりの文化でもあり、その徹底したこだわりは、単にかゆいところに手が届くというレベルにとどまらない。「え? あ、ここ、かゆかったかもー」ということを教えてくれるくらいのレベル感。(いま一つ意味がわからないけど。。。)
    「誰かのために何かをしたい」というマインドから見ても見習うべきところがたくさんある。

    脱線してしまったが、このイベントは、れっきとした「地球環境を真剣に考えるイベント」である。
    このイベントの主旨は『楽しみながら地球のことを考える』であり、『秋葉原も地球環境を考えている』である。

    秋葉原環境会議」の様子。秋葉原として何ができるのか活発なアイディアが出ていた。
    アキバの雰囲気も満点

    環境問題は非常に難しい。単純に「環境にやさしい=善」と言い切れるものではない。再生紙一つとっても、100%の再生のためには化石燃料を新パルプから製造するよりも大量に消費しなければならないという矛盾が指摘されていたりする。

    実際のところはわからないが、色々な問題があるということだけは素人の私でもわかる。
    とすれば、「市民一人一人として生活の中でできることは何か?」を考える機会をわかりやすい形で、しかも、自分の興味のあるカテゴリに盛り込んで提供するこのようなイベントは、取り組みとして非常に奥深い。

    真田さんは若いけれども非常にしっかりしたビジョンを持った公益マインド満点のナイスガイである。彼と一緒に何か仕掛けていけたらいいなぁと思っている。

    たくさんのメディアによる取材攻勢・・・この露出の高さがうち水っ娘イベントのキーである。

  • 2007.07.30

    食肉偽装事件とCSR

    ■北海道の食肉偽装事件を考える

    また、ある会社の考えられないような実態が明らかになりました。牛肉と偽って豚肉を混ぜるという組織ぐるみの詐欺行為を発端に、様々な実態が明らかになる連日のマスコミ報道、「もういいよ」という方も多いのではないでしょうか。(今は中越沖地震の報道の影に隠れてしまっていますが。)

    「食」の安全を守るという観点から見ると、この会社が行ってきたことは許し難い行為です。おまけに「安い商品ばかり買う消費者にも問題がある」、「表示さえしておけば問題なかった」と発言することができる社長のメンタリティの低さにはそれ相応の厳しい法的、あるいは社会的制裁があってしかるべきと思います。

    その一方で、「もったいないという意識があった」というコメントもしています。化学調味料の大量混入などを行っていながら「もったいない」も何もあったものではありませんが、私はこの社長のコメントの内、この部分は真実だと思います。

    つまり、目の前で日々食べられることなく捨てられていく食肉を見て、「なんとかこれを再利用できないか」と考えることはとても重要なことだと思うのです。今でも世界のあちこちで数分に一人とも言われる人々が餓死していきます。

    飽食国家日本は、その自給率が4割しか無いにも関わらず、日々食べ物を無駄にし続けています。このような社会が長続きするでしょうか? 若干宗教的ですが、食肉となる多くの牛や豚が、食べられることもなく、無駄に捨てられていくために命を落としているという現実。

    食肉業者の一人、しかも社長として、彼がその肉を何とか捨てずに活用したいと考えたこと自体は非常に大切なことです。しかし、彼が現在置かれている立場へ自分を追い込んだ限界はこの先にありました。

    ■食肉業者としてのCSR

    毎日、まさにゴミとして捨てられていく食肉を見ながら、社長がすべきことはなんだったのでしょうか?
    間違っても腐臭がしはじめた肉を他の肉と混ぜてわからないようにすることではなかったはずです。

    悪いほうのノーベル賞とまで言われるアイディアを生み出す発想力、これは誰にでもできることではありません。(やられても困りますが・・・)彼がすべきは、悪いアイディアを生み出して実践することではなく、この実状を変えるためのプラスのアイディアを、CSRとして実践することだったはずです。

    私は精肉のことは詳しくありませんが、人には供することができなくなった食肉であっても、他の方法で無駄にしないサイクルを他業種を巻き込めば作れたように思うのです。

    それを食肉の現状として世に訴え、肉のリサイクル的な発想でモデル化すれば世の中の注目するところとなり、会社の信用度もアップしたことでしょう。
    同業者から「最後のごみ箱」などと蔑みを持たれた状態から脱却すらできたかもしれません。

    もちろん狂牛病のように、共食いをさせるようなことをしてしまうと、それはそれで他の問題を引き起こす可能性もあり、決して簡単ではないでしょう。

    しかし、精肉業者として生活の糧を得ている人間は、それを無駄にしないための仕組み作りに努力することは 行ってしかるべきであり、責務と言えます。

    バブルの崩壊によって傾いた会社を維持し、状況を打開するために、悪いこととは知りながらも手早くできる消費者への裏切り行為に走ったというのは許されざることですが、当人は「社員を食わせていくためにやむを得ずやってしまった」という感覚で止まっているでしょう。彼の限界はここにあったと言えます。

    結果として、従業員をその何倍ものマイナス利子付きで放擲することになった。
    従業員の中には、仕事の中で自分たちがしてきたことへの呵責にこれからも心を痛め続ける人もいるでしょう。(マスコミがそれを煽っている状況も見るに堪えない面があります。)

    そして、経営者として彼が最悪なのは、ここに至ってもまだ誠意が無いことです。おそらく彼にはマスコミを通した先にいる消費者や社会が見えていないのでしょう。まさにCSRとは対極にいる経営者の見本のような人です。

    次号では、このような経営者にならないために、「誠意」の伝え方について考えてみたいと思います。

    ■ここがポイント■
    1.「捨てるはゴミ」、「使えば宝」の転換で社会から注目の種
    2.自社だけでなく業界全体をも考える企業にはステイタスが付いてくる

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  • 2007.06.25

    中小企業こそがCSRの主役 その2

    スーパー広報術」というサイトのメルマガで「CSR広報の時代」という連載をさせていただいています。

    その内容を一部リメイクしてこちらに掲載いたします。

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    ■CSRを意識する学生たち■

    前号で、「CSRは、社長が社員の一人一人の顔を覚えられるくらいの規模の企業こそが主役になれる」ということを書きました。今回は、それを裏付けるために一つのアンケート結果を検証していきましょう。

    私がウェブマスターをしている「公益コミュニティサイトCANPAN(カンパン)」では「CANPANCSRプラス」というCSR総合情報コンテンツを提供しています。

    このサイトの調査の一環で、就職を意識している無作為の大学生(3年生と4年生)1,700名にCSRに関するアンケートを実施しました。

    その中で、「CSRに無関心な大企業とCSRに積極的な中小企業のどちらに就職したいか」という質問をしたところ、55.9%の学生が「CSRに積極的な中小企業」への就職を希望すると回答しています。(32.8%はどちらとも言えないと回答)

    これらの学生は特にCSRに関心が高い学生というわけではありません。回答学生の58.8%は「CSR」という言葉を知らなかったと答えています。

    そこで、具体的な質問に入る前にCSRに関する知識を知ってもらった上で回答を進めてもらいました。いくつかのCSRに該当する企業行動がCSRに該当すると思うかという質問も行い、正答率が高い状態で回答を続けてもらったため、CSRに対する理解を進めながらの回答結果ということになります。

    この結果から見えるものは、学生が企業を選ぶ際の選択肢の一つとして、CSRという言葉を知っているかどうかは関係なく、CSR的な活動を企業選択の判断材料としているという事実です。

    ■企業理念の広報がCSRに■

    「CSR」は、アルファベット三文字でその企業が社会とのつながりにどう取り組んでいるかを表現しようとするものですが、学生はその言葉そのものではなく、その会社がどういうことに取り組んでいるのかを見ようとしています。

    つまり、その企業が自分の考える「社会への貢献の方法」や「自分を大切にしてくれそうな職場環境」などに対して、CSRという言葉は知らなくてもちゃんと頭の中で理解していて、そのような企業への就職を希望しているということです。

    逆に言えば、自社のCSRを社会へ周知しようとする時は、CSRという言葉にとらわれず、もっとわかりやすい言葉で発信しなければ多くの人の共感を呼ぶものとはならないとも言えます。その点、企業理念というのはとてもわかりやすく、共感できるものがたくさんあります。

    多くの企業の企業理念は、どこかでCSRとつながっています。とすれば、企業理念の実践をもって、自社の社員と社会に対してそれを周知していくというほうが「わが社はこんなにCSRに取り組んでいるのです。」と言うよりもわかりやすいことになります。

    そして、そのような周知を行う場合、自社の取り組みが実はCSRであることを知っているのは、それを展開しようとする広報担当と経営者だけで当面は充分ということでもあります。

    もちろん世の中にはCSRに敏感な人たちがたくさんいますので、それらの人々は間接的にそれらがその企業のCSRであることを意識しますが、その人たちは勝手に気づいてくれるのですから、わざわざCSRですと宣言する必要もないわけです。

    一見その会社の企業理念をどう実践しているかを周知しているようでいて、実はCSRについて周知していた、という広報の仕方は、陰徳を好む日本人の社会に受け入れられやすいと言えます。

    CSRは、日本では海外から輸入されてきた義務的かつ「善意の塊」的な概念として定着しつつあるので、「わが社のCSRはこんなにすごいです!」とPRしてしまうとむしろ逆効果になってしまいがちです。

    しかし、企業理念を実践していることについては、好感を持ってもらえる材料です。そして、この企業理念の実践を行う上で、中小企業ほど経営者の言葉が現場に伝わる規模感はないのですから、CSRの展開は中小企業のほうが主役になれるものなのです。

    ■ここがポイント■
    1.学生はCSRを実践する中小企業への就職を希望している。
    2.CSRという言葉でCSRを周知する必要はない。
    3.経営者の声が直接届く規模の企業こそCSRの主役となれる。

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