2008.02.25
「スーパー広報術」というサイトのメルマガで「CSR広報の時代」という連載をさせていただいています。
その内容を一部リメイクしてこちらに掲載いたします。
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■環境偽装の重いツケ
ご存知のとおり、今年の8月には洞爺湖サミットが開催されます。京都議定書で定められたCO2削減目標をどうするのかが、最も大きな注目となる本サミットは、2008年の10大注目キーワードにも選ばれたそうです。
これにより、環境問題がさらに社会の注目を浴びることは言うまでもありません。この潮流からすると、自社の環境への配慮をCSRの広報として周知を図るのは最も効果が高いという理屈になります。
しかし、そう簡単には効果が出ないと私は思います。先日、製紙業界による環境偽装問題が大きな波紋を呼びました。これに端を発する企業の環境対策周知に対するネガティブな印象形成が思った以上に深刻だからです。
「環境への配慮」という言葉が持つ善意性がすでに社会的認知を受けている中での偽装です。警察官が強盗をすることがニュース性が高いように、社会はこれに対して一段と厳しい反応を示すことは予想の範囲でしたが、紙というエコのイメージが最も定着していた分野での偽装事件は強烈でした。
本業として取り組むべきCSR活動の中で、その中心的役割を担う部分が欺瞞だ ったという根の深さを考えれば、この影響力はやむを得ないかもしれません。
これは、「偽」の年であった2007年の残滓を再び本流に引き戻すことになりました。
環境問題への取り組みに関して、日本企業は世界でもトップレベルにあるにも関わらず、それが社会から偽善性を問われることになってしまったのはあまりに痛い。
専門的な観点では、昔から再生紙には品質の問題がつきまとうのは当たり前の話でした。再生すればするほど、繊維の長さは短くならざるを得ず、実質的に品質が低下することは避けられないというのが今の技術の限界です。
また、100%の再生紙にはそれに倍する石油燃料が必要であり、結果としてCO2の増大につながっているという指摘は最初からありました。
エコの一環であると一般に思われているSOYINKも、事実とは違うということもあまり一般的に知られていることではありません。
これらはすべて一部では昔から議論がされてきた事実でありながら、「再生紙はエコ」という美名の下に社会的には隠ぺいされてきたとも言えます。
その視点で見れば、再生紙が持つ問題点を社会が認識するきっかけを作ったとポジティブに考えることもできるかもしれませんが、あまりにネガティブな要素のほうが大きい。
このような社会情勢の中で、「わが社は環境に配慮して・・・」と大々的に広報したところで、投資に見合うだけの効果を生むことができるでしょうか?
しかも巷にはこのような広告が溢れている状態です。
その広報が美しければ美しいほど、社会はそこに裏を読もうとする力を働かすことは間違いないように思います。
だからといって、この時期に環境に関する配慮を一切省いてCSR広報するのはかなり勇気のいることです。
では、どのように打ち出していけば時流を外さずに広報の目的を達せられるのかを考えてみましょう。
■環境問題は企業より家庭
ある面白い試算があります。日本では当たり前になってきたウォッシュレット付きの便器があります。これが最も電力を食うのは温かい洗浄水を噴射する時です。
この時に水を温めるために瞬間的に使用する電力の平均はおおよそ1000W。これを、東京でウォッシュレットを使っている全家庭が一斉に使った場合、東京電力の持つ電気の供給量を一瞬で超え、大停電が起こるという試算です。
これは、環境問題を考えた時に企業の環境配慮はすでに限界値に達しており、これからCO2を削減しようと思ったら、私たちの家庭一つ一つが変わらなければ不可能だということをあらわしているそうです。
ここに、環境問題をCSR広報として取り入れる際のヒントがあると思います。
環境問題について、皆さんと一緒に考えていきたい」というスタンスを打ち出すということです。
例えば、「私たちができるエコ、○○○。みなさんの家庭でできるエコ、○○○。一緒に地球のためにエコに取り組みましょう。」というような、「両方が何かをしなければ感」を出したものです。
この広報だと、対岸の火事的に企業の環境への取り組みを批判していた家庭が当事者意識を持つため、広報内容に信頼を持ってもらうことができます。
身近な例として、「NOレジ袋キャンペーン」で考えてみましょう。「レジ袋を要らない」言えば、ちょっと環境にいいことをしたという満足感と共に、そのお店の取り組みになんとなく共感してしまいます。
この時、そのお店に対して「どうせ経費節減しようとしてるだけだろう」と思う人はひねくれた人か、環境問題に全く興味の無い人です。
これはなぜでしょう? そうです、自分がプレイヤーの一人になっているからです。
したがって、企業全体への信用が揺らいでいるる中で展開するべき環境系CSR広報は、「自社と社会との問題共有」によって活路を見出すことが最も有効ではないかと思います。
CSR広報的にはとても難しいこの一年ですが、それだけにうまく打ち出せれば効果が高いのも間違いありません。ぜひ、工夫を凝らして素晴らしい環境関係の広報を生み出していただきたいと思います。
そして、これ以上環境関係の偽装問題が出てこないことを心から祈ります。
■ここがポイント■
1.企業の環境対策そのものに対する社会の信頼は失墜
2.環境に対する広報は打ち手が難しい時期3.環境系広報は自社と社会との問題共有で効果を狙う
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2008.02.11
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■「人の役に立てる仕事」が一位
雑誌「週刊東洋経済(2008年1月19日特大号)」をお読みになった方はご存知かと思いますが、特集として恒例の「就職ブランドランキング」が出ていました。
この記事を見ても時流がはっきりと読み取れますが、学生は企業の存在意義そのものに注目しています。それは、収入だけではない、プラスアルファ部分に働く意義を見出そうとする若者の姿です。
勝ち組負け組、持つ者と持たざる者、格差社会など、白黒を経済面だけでとらえようとする傾向が若い世代ほど強いように感じる昨今で、このような結果が出ることに違和感がある方もいるかもしれません。
しかし、それは、凶悪犯罪が実際には減少し続けているのに、凶悪犯罪が増え続けているように感じるのと一緒です。メディアの情報の出し方による印象が実社会と乖離しているにすぎないということを物語っています。
それはさておき、その中で最も注目すべきは、「仕事価値」という指標において、調査開始以来初めて、「人の役に立てる仕事」が一位になったことです。
これを学生が「『CSR』に取り組む企業」という視点で選んだとは考えにくいと私は思います。なぜなら、一部の学生を除き、「CSR」という言葉はまだまだ学生に認知されていないと思われるからです。
それでもなお、学生が「人の役に立てる仕事」というとても社会的な仕事に魅力を感じているのは本質的なことに目を向けている証です。
そして東洋経済は「ベネッセコーポレーション」と「積水ハウス」に注目し、彼らが自社のCSR活動をうまく活用して学生に対してアピールしていると論じています。
世界で最も早期にCSRが企業ブランド向上に役立つものと位置付け、戦略的にCSR広報を仕掛けたのは石油会社のロイヤル・ダッチ・シェル社です。
それは有名な「ブレントスパー事件」に端を発するものであり、攻めのCSR戦略と言うより、守りのCSR戦略の結果が「吉」と出たものでしたが、その時に再構築された企業理念に盛り込まれた「トリプルボトムライン」などの理論が、現在言われているCSRを定義付けることになり、世界に広まりました。
余談になってしまいましたが、上記の2社のように「CSR広報戦略」として学生の希求に応える形でCSRを見える形で打ちだしていくということは、自社を支えてくれるような有為の人材の獲得にとって非常に重要な戦略です。
そういう人材は間違いなく「お客様のことを考えることができる人材」だからであり、そのような人材を多く持つ会社が伸びるのは言うまでもないことです。
では、どのように打ち出していけばそのような学生の心に響くCSR広報ができるのかを検証してみましょう。
■企業理念と共鳴させる広報
まず、大前提は、「学生はCSRという言葉を知らない」ということです。した がって、「わたしたちはCSR活動(企業の社会的責任)に積極的に取り組んで社会との共存をはかります。」というような「CSR」という言葉を前面に出した広報の仕方はNGです。
さらに加えると、「CSR」という言葉を知っている学生であっても、「CSR」という言葉が持つ範囲は広すぎます。「百貨店」をブランディングするのと同じで、全方位的に自社が取り組んでいるCSRを漠然と周知することになるため、全く心に残らないのです。「何でもあります、どうぞ来てください」という宣伝に求心力が無いのと一緒です。
せっかく学生はその会社が行っているCSRの本質的な部分に響いてくれるのですから、企業理念の中でCSRとがっちり噛み合う部分にフォーカスして、具体的取り組みとして見せることです。
らに、その取り組みがどのように社会に役に立っているかを第三者を通じて紹介する形がベストでしょう。
より具体的に言うと、その第三者は、「○○市在住のA子さん」ではダメです。
ただのサクラかもと思われるのが関の山です。事実確認ができない第三者の意見ほどあてにならないものはないということは、最近は若い人ほど知っています。
したがって、利害関係の少ない方や団体で、社会的に見える方を登場させることで圧倒的な説得力を持ちます。
例えば先述の「ベネッセコーポレーション」は市民企業という自分たちの立ち位置の中で、事業を展開する香川県直島町の町長や観光協会の会長、地元の喫茶店、ボランティア団体などを通じて、自分たちの取り組みを紹介しています。
これはベネッセが取り組んでいるCSR活動のほんの一部の紹介に過ぎませんが、この部分を際立たせて見せることで、客観性と信頼性に結びつけています。
これらにさらにストーリー性を持たせるとさらに磨きがかかります。CSRは全方位性を持っているが故にわかりにくい、それを払拭するには、得意分野にフォーカスしてわかりやすくストーリー性を持たせて紹介することです。
細かいテクニックとしては、それらを紹介した最後に「これらの私たちの活動は、一般的にはCSR(企業の社会的責任)と呼ばれるものかもしれませんが、その考え方は、私たちの企業理念に最初から入っています。」というような控え目なアピールが、より効果を持つかもしれません。
これが効果を持つだろうと思うのは、最近の広告の傾向として、取ってつけたような自画自賛タイプのCSRの広報が多すぎるので、その逆を狙えるからです。
自社の今後10年を見据えて学生の採用を行う上で、この「誰かのために役に立ちたい」と思っているマインドのある学生がエントリーシートを持ってきてくれるように、CSRを使って魅力ある会社であることをアピールしてみてください。
■ここがポイント■
1.学生は企業の存在意義そのものに注目して就職先を見ている。
2.学生へのCSRアピールでは「CSR」という言葉を極力使わない。
3.CSRの取り組みの中で、最も自社が強いCSRの取り組みにフォーカスした内容をわかりやすいストーリーで伝える。
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2008.02.05
2008年1月27日まで、江戸東京博物館で特別展「北斎展」をやっていたので、寒風吹きすさぶ中、朝も早くから観に行った。
葛飾北斎の人気は最近ますます上がっているように思う。
そのおかげもあって、このような形で北斎の絵を見るチャンスに恵まれることはとてもありがたい。。。
そして、もう一つ、一人の画家にフォーカスした展示会というのは、その人物そのものに迫ることができるという点においてさらに興味深い。
同じ画家であっても、いや、それだからこそ、その人生の中で描かれた絵にはその時に画家が考えていたことや環境などが反映する。それを時間を超えて確認する作業というのは、歴史を紐解くようで楽しい。
それが浮世絵の場合、さらにもっとストレートに歴史を知ることができる。
歴史上、文字による記録というものを庶民が手にしたのはさほど古い話ではない。
例えば、平安時代、京都には多くの町民が生活していたことはわかっている。しかし、それだけの人たちが何を生業として生きていたのかはよくわかっていないのだ。
なぜなら、彼らは自分たちの行動を逐一文字に書き残したりしていないからである。
つまり、一部の上流階級の行動は公式文書も含め数多く残されている。
しかし、それ以外の人たちが一体何をしていたのかは公式文書にはほとんど書かれていない。したがって文字で確認することが非常に困難なのである。
そこで役に立つのが洛内洛外図のような絵。これらは当時の街の様子やそこで生活している庶民たちの姿をそのまま描いている。したがって、それらを読み解いていけば彼らの生活の一部が垣間見えるというわけだ。
その江戸時代版が浮世絵である。
もっとも江戸時代というのは、世界でも稀有な、平和な時代が200年以上も続いた時代なので、ここで花開いた文化は江戸の町民と一体でもあった。
したがって町民の様々な暮らしぶりは町民自らが文字に残していたりするので、浮世絵はそれらの文字情報を視覚情報に変換しているというほうが正しいかもしれない。(「かわら版」の登場も江戸時代。)
江戸末期には「街道ブーム」のようなものが発生、庶民がこぞって東海道を旅するということが流行ったりしたが、これはいかに治安が良かったかの表れでもある。
余談が長くなってしまった。。。
その北斎展で一つ気になる絵があった。
「海女」を描いた絵なのだが、身体が奇妙な描かれ方をしているのだ。
ものすごい不自然な歪み方をしたその身体の描き方について、博物館のほうでは理由がよくわからないというコメントがついていた。
私はこの歪みは、水面上から水面下の海女を見た時のゆらぎの表現ではないかと思うのだ。
北斎がこの絵を描いたのはおそらく船の上である。
そこから海女が海に潜って、また戻ってくるというのを熱心にデッサンしたのだろう。
となると、水のゆらぎを当然表現するはずで、それを北斎流に描いたのがこの歪みなのではないだろうか。
というのは、自分もそのような経験があるからだ。プールで潜る友だちの姿を見ていて、別の生き物のように見えた。奇妙な揺らぎの中でそれは不思議な光景を醸し出し、なんだかとても怖いものを見ているような気になった。
それは底が二メートルもないようなプールでのことだったが、海女が潜る海はどこまでも黒い底である。底知れぬ黒の中で揺らぐ海女の白い肌は、より印象深いものであったろう。
浮世絵のすごさを写実性に求めるのは意味が無い。同時代におけるヨーロッパの写実性は浮世絵のおよぶところではない。
それこそギリシャやローマ彫刻が紀元前にはすでに立体的な造形を完成させていたのに対し、日本の彫刻が同じような表現技術を獲得するには約1,000年の時を経、運慶の出現を待たなければならなかったのと同様である。
では、浮世絵の凄さとは何か?
それは、心の眼の表現だと思う。(すでに誰かが同じようなことを言っているのだろうと思うが私は研究者ではないのであまり論文等に興味が無い。)
北斎展では、他にも有名な「赤富士」「黒富士」なども展示されていたが、写実性を優先させるとするならば、こんな富士はあり得ない。ましてや有名な「品川沖浪裏」の巨大な波の間から富士が見えるなどもっとあり得ない。
しかし、そのくらいにすごい波に船がもまれているという情景を我々はその絵から感得することができる。
この制約の無いデフォルメこそが浮世絵の強みであり、この遊び心というか、心で感じた色と形を自由に表現する技能こそが浮世絵の凄さなのだとあらためて思う。
この発想の自由さと大胆さ、表現の多様性は、そのまま今の日本のマンガ文化につながっているようにも思う。
世界から認められる「MANGA」の源流は浮世絵にあるのではないだろうか。
【写真は江戸東京博物館ウェブサイトより】
2008.02.03
昔、雪が降ると「犬はよろこび庭駆け回り」、「猫はこたつで丸くなる」と教わったので・・・
久しぶりに雪が降った東京で、愛犬のメルを散歩に連れ出した・・・
すると・・・
なんと数歩歩いただけで、「うおー!さむい~」とぶるぶる震える始末・・・弱っ!
あんまり仕草がかわいいので、それが見たくて、もうちょっと歩かせてみたひどい飼い主
室内犬は猫と変わらないことがわかった日曜の朝
2008.01.24
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■企業はお金を出して当たり前?
前回の号では、数年前から目にする機会が増えた「協働」という言葉のうち、政とNPOやボランティア、いわゆる市民活動との「官民協働」の実態と問題について書きました。
今号では、もう一つの注目すべき「協働」である企業と市民活動との「産民協働」について考えてみましょう。
毎号の繰り返しで恐縮ながら、「CSRの広報には第三者を巻き込むことが重要」です。この第三者として、パートナーの役割を担うのが市民活動であり、これがうまくいった場合、それが「協働」と呼ばれるものになります。
先日、あるCSRの研究会で「またか・・・」という思いをしました。ある大企業のCSR担当者の方が自社の取り組みを発表され、その後、その内容について質疑応答するという内容でした。
その時、あるNPO関係者が、「一兆円も売り上げているのにも関わらず、市民活動に数百万円しか支援していないのはなぜか?あまりに少ない。もっと一億とか二億くらい支援すべきだし、この額が御社の社会貢献なのか? 」という質問というか意見をしました。
これは、あまりに企業というものの有り方を無視した無責任な発言で、失礼極まりないものです。
そもそもCSR的視点から言えば、市民活動を企業が支援しなければならないわけではないにも関わらず、残念なことに市民活動をされている方々の中には、このように考えている人たちが意外にも多いのです。
実際に、その企業のご担当の方の回答の冒頭に、「そのようなご意見はよくいただくのですが・・・」とおっしゃっていました。つまり、そのような意見をする人が他にもたくさんいるということです。
なぜこのような発言が出てしまうのでしょうか? 市民活動は「誰かのために何かお役に立つことをする」という崇高な活動ではなかったでしょうか?
■課題は「善意の甘えとだらしなさ」
実は「崇高な活動」であるが故にこのような発言が出てしまうのです。
私の所属する日本財団は、まさに市民活動に資金的な支援をすることをミッションの一つとしています。年間お付き合いさせていただく事業数は約4,000件、事業費は250億円になります。
それでも、全国、または海外への支援という規模感の中ではお断りしなければならない件数のほうが多いのです。そんな時、落選した団体から「うちみたいな良い活動にお金を出さないのはおかしい」とクレームを言われることもしばしばです。
そういう市民活動団体の方は、企業相手になると、「企業は稼いでいるんだから、良い事をしている自分たちにお金を出して当たり前だ」というあまりに主観的で稚拙なロジックを開陳することになります。
こんな団体の発言がまかり通るようでは、いつまでたっても市民活動はその社会的地位を上げることは無理です。
さらに、お金をもらった後も問題があります。それをどう使ったのか、きちんとした報告をし、説明責任を果たせる団体が少ないのです。
確かに、彼らの活動領域は目の前で倒れている人をどうやって救うか、というような世界です。したがって本当に時間は無いのですが、それでも、一円でも自分たちの活動に支援してくれた人がいたら、その方々が納得できる説明責任があるはずです。(お金を出した側が過度の説明を求めるというケースもしばしばあり、これはこれで大きな問題があります。)
私が全国を回りながら市民活動をされているみなさんの前でお話しをさせていただく際には、この部分を必ず強調します。さらに「同じ一万円でも個人からもらうのと企業からもらうのは違う」ということを説明します。
それができないなら自分たちのお金が許す範囲内で活動するしか道は無いのですが、そう思わない人たちもいるのです。ここには、「誰々のために○○してあげている」という、独善的な思考が見え隠れします。
このような組織と会社が「協働」するなど夢のまた夢です。
私が企画・運営の責任者をしているサイト「CANPAN(カンパン)」では、この市民活動における善意のだらしなさを払拭するため、市民活動の団体情報データベースの一覧表に情報公開度によって星が増えるというシステムを導入しました。これにより市民活動団体の情報開示度が一目でわかります。
■日本財団公益コミュニティサイト「CANPAN(カンパン)」団体情報DB■
http://canpan.info/dantai_list_view.do
市民活動側が社会に対して説明できるような情報公開と発信(報告も含め)ができるようになれば、会社のCSRを進める、広めるための第三者として、市民活動が素晴らしい活躍をしてくれるようになります。
逆に言うと、情報発信や公開がちゃんとできない市民活動団体とは組まないようにすることが重要です。
個人のお金ならそれにこだわる必要はないと思います。しかし、会社として協働を求めるならば、その部分は不可欠であり、それを市民活動側にもきちんと求めていただきたいのです。(それにより彼らも成長できます。)
実際には世の中では素晴らしい団体がたくさん活動しています。それを見極めてお付き合いすることで、自社におけるCSR広報の芽を大きく育てることができ、結果としてお互いがWinWinの関係になることができます。
その意味で、両者とも課題があるとはいえ、前号の「行政と市民活動の協働」よりも「企業と市民活動の協働」に、私は大きな可能性を感じています。
■ここがポイント■
1.CSR広報上重要な第三者として市民活動団体はベスト
2.市民活動は善意である故の甘えとだらしなさが課題
3.パートナー選びの市民活動団体のポイントは情報開示(発信)力
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