• 2008.01.20

    目的外使用[バキュームクリーナー]

    先日行った秋葉原で、こんなものをゲットしてきた。

    サンワサプライの「バキュームクリーナー」である。

    単三電池四本で動くハンディタイプのクリーナー、アタッチメントなども色々とついて1200円くらい。

    これはパソコンのキーボードの隙間とかを掃除するグッズなのだが、これを買ったわけは別にあった。

    家で飼っているクワガタやカブトムシのせいか、2mmほどの小バエのようなものが冬だというのにたくさん飛んでいてやたらとうるさい。そこで彼らをこれで吸い取ってやろうと考えたのだった。

    家に帰ってきてさっそく実験・・・すごい!今までわざわざ掃除機なんぞを持ち出していたのに恐ろしいお手軽さで駆逐できてしまうまる

    小バエには申し訳ないが、これからはこのクリーナー片手に戦うことにしたVS

    これはもう個人的に大満足なので75点!(吸引力がもうちょっと強ければ85点はあげたい逸品)

    これは目的外使用ながら、ブラシのアタッチメントなども付いているから本来の目的であるキーボード掃除にも役立つこと間違いなしである。

  • 2008.01.13

    ボン・ジョヴィ (BON JOVI) ライブ

    2008年のマイライブ人生は世界的ロック界の大御所、ボン・ジョヴィのライブからスタートギター

    ボン・ジョヴィのライブは、まさに20年くらいぶりである困った

    思えば生まれて初めて行ったいわゆる外タレのライブがボン・ジョヴィで、当時、アメリカのワシントン州に留学していた自分は、コンサートのチケット代が安いことに驚き、友人たちとシアトルまで車を飛ばして観に行った車

    その時に買ったパンフレットがこちら、よくもまあ保存しておいたものだというか、実はどこかにその時のチケットとTシャツも残っているはずなのだが、見つけきれなかった悲しい

    そのくらい思い入れが強かったというか、印象に残ったライブだったのだが、理由は規模感だった。当時、高校生だった自分には海外アーティストのチケット代は高い上、茨城県の田舎から東京にライブを観に行くなど夢のまた夢、自ずと観に行くのは国内アーティストで、最も大きなホールでも県民センターでMAX1,000人です、みたいな世界。シアトルのホールで少なくとも一万人規模の入場者、半端ではなかった。

    さらに、その時、ジョン(ボン・ジョヴィの名前)は背中から吊るされて空を飛び、客の上を飛行するという演出をやっていたので、その大がかりな仕組みにも呆気にとられたのだった〓

    その後、大学に入ってから武道館に一度観に行った覚えがあるのだが、この時のものは何一つ残ってないので、いかに初ライブが印象深かったかということをあたらめて思った笑顔

    さて、そんな思い入れのあるボン・ジョヴィコンサート、久しぶりの東京ドーム、その手前の後楽園ホールはたまにキックボクシングを観に来たりしていたが、本体(?)のドームに入ったのは一年くらい前の「K-1」か「新日本プロレス」だったような気がする・・・ライブだと「浜崎あゆみ」だっただろうか・・・それはさておき、とにかくすごい人の群れにビビってしまった困った

    なにしろ入場するのに並ばないといけないのだ。「最後尾はこちら」なんていう看板すら出ている有様である。

    最近行っているライブは多くて数百人、全員が一気に会場から出入りしたところで誰も困らない上、交通機関に影響を及ぼすようなことなど間違ってもないようなものばかり、これだけの人が一つのバンドを観に来るということのすごさに参ってしまった馬

    前置きが長くなってしまった。で、会場の席はこんな感じ。野球を見るにはかなりいい席だが、コンサート自体を見るのにはちょっとジョンが遠い・・・腕を伸ばした自分の人差し指の第一関節くらいの大きさである・・・めがね

    赤矢印のあたりにジョンが立つ(・・・遠い)

    そして、コンサートは「サイコー」だったまる

    ヤバいくらいジョンはカッコよかった。彼、または彼らの人間性が全面に出るライブは本当に観ている自分たちを気持良くしてくれた。「これがプロってもんでしょー」と思ってしまった。

    一緒に行った友人は、ライブにはやたらと厳しいのだが、その彼も大絶賛、「外タレとは思えない!」と言っていた拍手
    あろうことかコンサートで口パクをしたり、わずか一時間でライブを終えてしまうアーティストなど、正直、外タレのスタンスには疑問を覚えることも多い中、こんな大御所のジョンが素晴らしいライブをやってくれたことに、25年という長きに渡って世界を魅了し続けた彼らの凄さを見た気がした。

    それにしても本当にジョンはカッコよく歳を重ねていた。こんな40代になろうと決めた一日でしたまる

    帰り道に友人が、「いやー、ボン・ジョヴィ、マジでよかったー!今、一番行きたいライブはストレイテナーだな」とボソッと言っていた。・・・それって、流れ的にボン・ジョヴィじゃねーの?・・・困った

    次のライブはまた小さい世界に戻る予定で、10-FEETだったかな???
    SUM41にも行く予定があったような気がするけど、ちょっと忘れてしまった・・・
    4月には奥田民生アニキのライブもあり、ライブ系は年初から充実していてちょっとうれしい笑い

  • 2008.01.12

    秋葉原は冬でも熱い

    親戚の叔父さんのパソコンが調子が悪いということで、自宅に送られてきたパソコンをチェックしてみたところ、どうやらマザーボードの故障であることが判明した困った

    マザーボードというのは、CPUが頭脳だとすると、脊髄みたいなもの。これが壊れるとすべての部品を外して直さないといけないので、修理がえらい厄介・・・悲しい

    BIOSの再インストールなど、ソフト的に色々と修復を試みるがうまくいかないので、これはハード的な故障だと断定、一気に交換することにした。ところが、けっこう古いマシンでPentium 4やCeleron用の「Soket478」という種類のマザーボード、交換用のマザーボードはすでに新品で売ってはいない。

    こういう時は迷わず秋葉原に行くに限る走る
    ということで、久しぶりにジャンク屋とも呼ばれる中古品などを扱うお店を片っ端からあたり、必要なボードでニーズを満たすものを探してみた。

    すると、そもそもの目的はマザーボードにも関わらず、CPUやらメモリやら、グラフィックボードやらが所狭しと並べられている様に、なんだか気持ちが良くなってしまい、本来の目的も忘れて色々とチェックしてしまった困った

    本当に安い、高めのお店もあるけれども、WindowsXPが快適に動くレベルのSoket478のマシンなら1万円も出せばパソコンが一台作れてしまうくらいに安い。

    結局、必要なマザーボードは「じゃんぱら」という、アキバではとても有名なお店にあったものを1,450円で購入した。このお店は店員さんも知識がある人が多いし、何より皆さん親切なのがうれしいまる

    ジャンク品は安いけれど、それでもサポートが受けられるかどうかもとても重要、そこがヤフオクなどで手に入れるのとは段違いなのである。

    【じゃんぱら本店】

    秋葉原はやっぱりスゴい街だ、こんなに充実していて、しかも安価にリサイクル品を買える街というのは地球環境にとっても貴重な存在である。

    そんなわけで、家に帰って組み上げてみたところ、とてもいい感じで直ってくれた。

    【作業中の乱雑さに、寝る場所に困る愛犬メル】

    秋葉原は冬でも熱かった、また秋葉原熱が再燃しそうでコワイ・・・炎

  • 2008.01.11

    奇跡のマンモス「リューバ」を見る

    最近、東京駅の丸ビル界隈に出没する機会が増えたビル

    東京駅界隈は、最近とても充実してきていて、銀座ほど混んでいないのに歩こうと思えば銀座までもすぐ歩ける便利さもあって、マイブームなエリアなのである。

    その丸ビルで今、2月3日まで「奇跡のマンモス リューバ展」というのを開催している。

    3万7000年前の「子マンモス」がシベリアの凍土からほぼ完全な状態で見つかったそうで、世界初公開となるものらしい。

    行ったのが平日の夜ということもあって、とても空いていた・・・が、展示物がものすごく少ない・・・これで800円はいかがなものか・・・(ほとんどが場所代かなぁという感じ)困った

    マンモスとは何ぞやというパネルやCGなどが並べられた通路を10mほど進むと、冷凍庫に入ったリューバ君に会えるペンギン

    思ったより小さいリューバ君であったが、絶滅した生物をほぼ完全な形で見ることができるというのはやはりインパクトがある。頭と右前脚部分に気泡状になったカルシウムの溶けだした後が確認できるということだったが、確かにそれも確認できた。(長い年月の間に肉の隙間からカルシウム分が溶け出すということが起きるものらしい。)

    それはさておき、リューバ君が近年発見された経緯というのは、地球の温暖化により厚く覆われていた永久凍土が溶出した結果であるという。

    昔の科学の本などでは、寒々しい氷河の地上で毛皮を着た人間がマンモスに向かって槍を投げているようなシーンだったが、マンモスが豪雪の氷河の中で生きていたというのはどうやら間違いで、例えば当時のシベリアは乾燥した草原のような状態だったことが研究で明らかになっている。

    考えてみても、いくら温かい毛皮や厚い脂肪に覆われて寒さ対策をしていたところで、生きている以上、あんな巨大な体を維持するだけの食料が氷の世界で手に入るはずは無い・・・おにぎり

    また、マンモスの時代よりもずっとロングスパンで見ると南極大陸すら昔は草原だった。

    それらを考えると、温暖化とは一体どういう状態を指すのかがわからなくなってくる。

    過去、地球上でも何度かの生物の大量絶滅があった。

    それらは地球環境の変化に伴うものであるが、それらの変化を促したのは植物だったり、新しい生物の出現だったり、あるいは太陽の活動によるものだったりした。(隕石で恐竜が絶滅したというのは信じたい一方で、やはりちょっと疑問が残る)

    今年は洞爺湖サミットも行われる予定であり、地球環境に関する関心が一気に高まる一年になるが、人間が現在の自然環境を守りきれるかどうかについては、個人的にはとても困難であるという気がしている。

    なぜなら人が経済活動をあきらめなければ環境を実質的に守ることなど不可能だからだ。

    結果としては、おそらく環境破壊は続いていく。だが、その流れを可能な限り緩やかにすることで、生物に対して破壊されゆく環境への対応を準備してもらうことはできる。
    これを進化と呼んでもいいと思うが、破壊の坂道をそのくらいの緩やかな坂道にできれば、何とか人間も生き続けることができるだろう。

    だが、今の地球で、人間の活動の激しさは歴史上例を見ないものだ。
    そんな緩やかな坂の形成など許さないようなものであることは考えるまでもないことである。しかし、それでもなお、坂を緩やかにするための努力を惜しんではいけないのだろう。

    まずはできることからはじめよう、ということで省エネに努めるくらいしか、なかなか個人ではできないのである悲しい

    【写真を撮ろうとするといつも自分を撮ってもらえると勘違いしてポーズをするメル】

  • 2008.01.10

    協働の時代、は本当か?(その1)

    スーパー広報術」というサイトのメルマガで「CSR広報の時代」という連載をさせていただいています。

    その内容を一部リメイクしてこちらに掲載いたします。

    ————————————————————

    ■「官民協働」で疲弊する市民活動の謎

    数年前から「協働」という言葉を目にする機会が増えました。「協働の時代」ということを言う人もいます。これは、主に二つのトレンドによるものです。

    1)地方自治体とその地域で活動しているNPOやボランティア、いわゆる市民活動とのコラボにより、行政だけでは解決できない問題を一緒に解決していこうという新しい流れの加速。
    2)企業と市民活動とのコラボがCSRの普及と共に加速。

    このコラムを書く中で、「CSRの広報には第三者を巻き込むことが重要」と繰り返してきました。この第三者は、市民活動が大きな役割を期待されるところであり、ここに「協働」というものが生まれる土壌があります。

    「行政と市民との協働によるまちづくり」、「企業が市民活動と協働してまちおこし」というような表現で語られるこれらの「協働」、一見、非常に美しいフレームですが、根本的な問題を抱えたままで走り続けている感が否めません。

    そこでまず、1)の「地方自治体と市民活動の協働」について見てみましょう。これが加速した背景には、2003年に施行された「指定管理者制度」が挙げられます。

    これは、それまで行政が管理していた施設などの、いわゆるハコモノを企業やNPOなどにも管理を委託できるようにしたもので、小泉内閣が推進した民営化対策の一つです。

    それまで特定の外郭団体などにしか委託できなかった施設の管理には、経費節減意識の欠如や天下りなどの問題がつきまとっていました。したがって、この制度ができたこと自体は、地方自治体の財政改善に向けた流れとしては適切でした。

    しかし問題は、行政側が市民活動を実質的にパートナーとして認めていない点にあります。

    全国あちこちで、「市民活動という名の安い下請け」という実態がはびこっており、市民活動側からは「行政からの事業を受注すればするほど疲弊する」という声が上がっているのです。これは協働などというものではありません。

    どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか?

    ■「協働」に立ちはだかる大きな壁 

    それは地方自治体で働く職員の意識がそういうものだから、というのが率直な私の感想です。たとえば、ある地域の問題を解決するために協働が必要だとすると、職員の方々は「誰々に○○させて解決する」という表現を使います。
    この使役動詞はおかしい。
    市民にサービスをするのが行政の役割である以上、行政が解決できない課題を解決してくれる市民活動はパートナー以上の積極的協力者であるべきです。それを「させる」と表現してしまう「お上思想」が最大の問題です。

    したがって、事業予算も市民活動なんだから安くやって当たり前だ、という発想に基づいて設計されているのではないかという内容で、結果として地域の市民活動を疲弊させてしまうという最悪の循環を生み出す繭になってしまっています。

    これは中央省庁よりも財政難が深刻な地方自治体のほうが壊滅的な問題を内在させています。そもそもの発想が「予算減のためにどこをどうやって削るか」であって、「市民のために限られた予算の中で何をすべきか」ではないのです。

    山本周五郎は「歴史上、政治が市民のためにあった試しは一度もない」と断じていますが、そこまで悲観的ではないものの、この自治体職員のマインド変革という根本的な問題解決なくして、行政と市民活動との「協働」などは表面的なものでしかないと思います。

    次号では、本筋となる企業と市民活動との「協働」について書きたいと思います。

    ■ここがポイント■
    1.行政と「協働」すればするほど市民活動は疲弊するという実態
    2.今のままの協働なら市民活動は行政の下請け
    3.「協働」には、地方自治体職員のマインド改革がまず必須

    ■こちらもぜひご覧ください—————————————
    5万人メルマガ「Super広報術」にて「CSR広報の時代」を毎月配信中!
    http://s-pr.com/mmag/index.php
    ————————————————————–