• 2011.03.11

    東日本大震災当日の話 ~その1~

    「東北地方太平洋沖地震」が発生した時、自分は内閣府で「新しい公共」推進会議の情報開示・発信基盤に関するワーキング・グループ」に参加していた。

    ビル自体も古かったのもあるだろうが、非常放送のスピーカーがうまく鳴らなかったり、上水道が壊れたり、国の中枢機能を担う建物としては、甚だ危機管理ができていなかった。

    おそらく立派な建物を建てると税金の無駄遣いだとか、そういうことを言われてしまうから、貧相な状態を維持しているのだと思う。

    しかし、非常時に役に立たないようなビルに行政の中心機能を持たせておくことのほうが国民のためにならないということは間違いないことなのだから、声を大にして言ってもらいたい。

    立派過ぎる建物であることや華美の建物であることと、非常時に役に立つような堅牢な建物であることとは別の話なのだということくらい国民だって理解してくれる。

    それはさておき、ちょうどミーティングも最後の最後に地震が来たため、なんとか閉会したところ、ビルにヒビが入っているとかで、できるだけ早く退避してほしい旨の伝令(非常放送が機能しないため)が来て外に出る。

    不安げな顔をした人達がヘルメットなどをかぶりながら外に退避していた。

    この時はまだ、東北地方が震源で震度8の地震があったということを、Yahoo!の宮内さんがいち早くiPhoneで情報をゲットし、教えてくれた。

    CANPANセンターに電話を入れるも、もちろんつながらない。

    ツイッターだけが生きていて、それを見ているとどんどんツイートが流れてきていた。

    阪神淡路大震災の時の唯一の通信手段は、当時はまだ普及間もなかった携帯電話だった。
    珍しい携帯電話を片手に被災地を歩き回ったことを思い出した。

    今回はまた新しい通信ツールとしてのソーシャルメディアが生きていた。
    しかもSkypeも生きているという情報もツイートされていた。
    とりあえず通信手段が確保できていることに安心する。(これは災害時、何よりも重要なことの一つだ。)

    虎ノ門のCANPANセンターのある海洋船舶ビルに着くと、ビルの中には入ってはいけないという。
    ビル自体が40年以上経っていて立て替え検討中のビルだけに、今回の地震でどうもヒビが入っているとのこと。

    CANPANセンターの皆は無事で、ビルの外に避難も終わっていて胸をなでおろす。

    外で少し待っていたが、CANPANセンターの状況と、何より情報が欲しかったのでジリジリしてしまい、余震が来て死んだら死んだで仕方ないとビルの中に入り業務に戻る。

    見事にミーティングルームの本棚が倒れていた。
    この時、倒れた逆側でミーティングをしていた人がいたが、幸いにも怪我もなく済んだとのこと。本当に幸運だったと思う。

    そして、他の人の机は無事なのに、自分の机の周辺だけが震度8になっているのを発見する。。。困った

    とりあえず情報収集しなければならないため、自分の机を片づけて、NHKのUSTを見て愕然とする。

    「津波、しかもとんでもない規模・・・」

    まるでハリウッド映画のような、非日常的な光景を目の当たりにして、自分の頭の中で、直感としか言いようがないが、「これは阪神淡路の比じゃない災害だ。CANPANとしてしなければならないことを今すぐやらなければ」という閃きが起こった。

    それをきっかけに、頭の中でやるべきことが、それこそ津波のように明滅してくると同時に冴えわたってきて、冷静さに拍車がかかった。

    こういう時、自分の心は異常に冷静になってくる。つまらない時には容易にパニックになる自分の頭が理路整然としてしまう。

    それがいいのか悪いのか、よくわからない。
    ただ、自分がやるべきことが見えるという意味で、自分はこの性格が今の仕事には向いているように感じる時がある。