2015.08.25
連日の猛暑もひと段落したけれど、今年は世界が体験する最も暑い一年になるという予測があるらしい。
そんな中、毎日のように亡くなられる方がいる熱中症、日本だけでも一年に1,000人以上も亡くなられる方がいて、しかも増加傾向にあるということで、これはすでに大災害とも言える。
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/necchusho25_1.pdf
同時に、台風やハリケーンも温暖化が進む地球では大型化、石垣島では観測史上最大の瞬間最大風速71mを観測したとのこと。台風自体の発生数には増加傾向は認められないが、被害はどんどん深化している。
これらの災害コストは今後、地球環境の悪化と比例することを考えればさらに悪化の一途を辿るだろう。
増加するのは社会保障費だけではない。このままいけば軍事費も増大の一方だろう。そして災害コストも。
今の日本にそれらを賄う体力はない。
国民全員がもっと本気で持続可能な日本の在り方について考えて良い時代にすでに入っている。
しかし、社会は相変わらずその変化へアクセルを踏もうとしていない。
ちなみに、日本の災害対策基本法の中では、猛暑などは災害の定義として挙げられていないけれど、ISO26000やSDGsなどが、もう気候変動をストップしようとかいうことでは間に合わないから、世界がその変化にどうやって適応していくかを考えよう、ということに方向性を変えてきているのを見れば、その深刻さがわかる。
この場合の未来を変えるデザインとは、災害に強い街づくりや家づくり、という守りのデザインかもしれない。
2015.08.15
経営トップも絡んだ東芝の不適切会計問題は、日々CSRに携わる方々にとってはため息しか出ない問題と映っているのではないかと思います。
この問題はCSR的には非常に重要な視座を得た事例だと思います。日本を牽引してきた大企業の一つがこのような問題を起こしてしまったという背景を考えると日本社会にとって極めて深刻であると言わざるを得ません。
なぜなら、東芝のような大企業とその周辺には経済を含めた大きな生態系があり、その中心となる企業がこのような行き過ぎた利益史上主義へ走ってしまうと、その生態系全体に大きな軋みを生んでしまうからです。
経営トップが掲げた「チャレンジ」、これは企業として間違っているとは言えません。それが悪者のように見えるのは、そこに顧客の視点が欠けているからです。
ドラッカーは「企業の目的は顧客の創造である」と指摘しました。ここで言う「顧客」とは誰でしょうか? もちろん自社の製品やサービスを買ってくれる人、ということになります。
しかし、その手前で製品やサービスそのものが社会のニーズと合致していなければ、そもそも売れません。つまり、ニーズを創造できていなければ顧客も創造されないわけです。
今の日本企業に圧倒的に欠けているのはこの点です。新規のマーケットを創り出せず、結果として既存のビジネスモデルという枠の中で他社との血みどろの戦いを続け、組織だけでなく、その周りの生態系までも疲弊させる。今回の事件を見るまでもなく、このような状態は長続きしません。
それを避けるには、社会の中で自分たちの会社はどのような価値を創り出すべきかという発想に基づいたビジネスづくりを強い意思と根気を持って進めることが必要です。
本当はそれこそが「チャレンジ」の目的であって、営業利益が目的の「チャレンジ」など本末転倒も甚だしいのです。
では、その社会のニーズはどこにあるのでしょうか?
今の時代、その沃野は社会課題にあります。
そして、このマーケットの特性は消費者アンケートなどが通用しない点にあります。消費者がどのような製品やサービスを欲しがっているのかについてアンケートをやっても無意味です。なぜなら、社会課題の渦中にある人たちは自分たちが何を求めているのかわからないからです。
これをお読みの皆さんの中でカメラ付き携帯電話が販売された時、「これが前々から欲しかった」と思った人はどれくらいいるでしょうか?
おそらくは「電話にカメラ? そんなの必要なの?」と思われませんでしたか?
しかし今、電話にカメラが付いているのは当たり前、ついていない機種を探すほうが困難です。
電話とカメラ、両方とも既存製品としてマーケットが存在していた製品ですが、それがハイブリッドされた時、そこに巨大な市場が生まれました。
誰も意識していなかったけれども実はそこに大きなニーズがあった、これは社会課題をビジネス化する時に最も必要な視点です。
それだけに難しくもありますが、これまでにも様々な社会課題を解決してきた日本企業だからこそ、この原点に戻ることで再び社会に必要とされる企業となることができます。
そして、それこそがCSR経営そのものなのです。
2015.08.14
法令というのは、日本社会におけるOSみたいなもので、パソコンで言うところのWindows。さしずめ行政の条例は、その上で動くアプリという感じ?
国会議員の功績の一つの指標は、法案の提案数とどれだけ成立させたか。
だから国会議員も官僚も必死で新しい法案を提案して予算を獲得しようとする。
古くは戦前から残ってるOSもあるものの、それが戦後70年続いた。
そしたらどうなるでしょう???
みなさんも思い当たるはず。買ったばかりの頃はさくさくと動いていたWindowsパソコンがものすごく重くなった、という経験。
WindowsというOSは毎日のようにプログラムの修正や脆弱性を埋めるパッチと呼ばれるプログラムが追加され続け、結果としてものすごい負荷をパソコンにかけていき重くなるわけです。
電源を切ろうとすると勝手にインストールが始まって「おいっ!」となった人も多いはず。あれです。
法令が日本のOSだとして、戦後70年、パッチが当て続けられてきたわけです。
私には、今の日本社会がものすごく重たくなった古いWindowsに見える。
国民がより良い生活を送るためのはずのOSが重くて社会のお荷物になって、しかも金ばかりかかる。
できればOSもバージョンアップしてしまうくらいの抜本的な改革をしたいくらいですが。。。
予算は全て根拠法に基づいて決められる。つまり法令が残り続ける限り多寡はあるにせよ、予算を付ける動機づけを避けられない。だったら、そもそもの根拠を無くさないとダメですよね。
私の提案は、すでに社会的役割を終えた法令を廃止した数を国会議員の成果の一つと見なし、可視化してあげる仕組みを作ること。
それによって既得権益化した予算も見直され、本当に必要なものへとスリム化が進むのではないか、いや、進めなきゃ、と。
今の社会とWindowsの重いパソコンを使い続けることの息苦しさは、なんだか似ていると思うわけです。
2015.08.04
晴れ男の私がなりゆき上、事務局長を務める「日本雨女雨男協会」。
こちらの活動の一環としてとある実験施設で日本で観測された史上最大の豪雨と同じ豪雨を体験してまいりました!
詳細はこちらの協会のプログをご覧いただければと思いますが、私個人の実験としては釣りを趣味に持つ私、雨の中での釣りに使うレインウェアの性能がどのくらいか、を試したいということでわざわざレインウェア持参で行ってきました。
■日本雨女雨男協会公式プログ■
http://blog.canpan.info/rainypower/
着ていきましたのは、ゴアテックスの耐水圧30,000mmオーバーという高性能レインウェアでございます。
耐水圧30,000mmなどというものがどれほどのクオリティーか、試してやろうやないかい、と。
ふだんの雨では全くと言っていいほどそのポテンシャルを活かしていないと思われましたが、いざ、史上最大豪雨の前ではどうなんだ!と…
結論から申しますと、全く濡れない…すごいぞ、ゴアテックス。
傘をさして上を向いた手首などからの水の侵入は防げませんでしたが、その程度。
高性能レインウェアというもののすごさを体感。
問題は、ゲリラ豪雨の際には、こんなレインウェアを持ち歩いていない、ということでしょうか
ちーん…
それにしても、今後、ますます増えるであろうゲリラ豪雨への備えや理解は大切だなぁと思わされた体験となりました。。。
2015.07.16
過去の歴史に学ぶなら、独裁者と呼ばれる人たちのほとんどは市民が望んだから生まれ、市民をどん底に叩きこんだ後に自滅、という道を歩んだという事実を私たちは思い出さないといけない。
この70年間、世界は平和とは程遠かった、今も。
でも、日本は平和というか、「安全」だった。
日本国憲法が戦争を放棄しているからといって北朝鮮が日本国憲法を遵守する理由はないし、戦争の脅威は常に身近にあった。
それでも、平和憲法という建前が、薄いけど大切な壁となって日本を守ってきた。
でも、とうとうこの壁の外に出ることを宣言してしまった。
「憲法改正なし」に。
残る「良識の府」と呼ばれる参議院がその責務を全うできなかった時、日本は立憲民主主義の国ですらなくなる。
これからは、戦争の脅威が私たちにとってますます身近になる。
ISに拉致されて殺害された後藤さんや湯川さんの例を出すまでもなく、自衛隊が戦争に参加する事態での想定などより、テロとかで国民の命が犠牲となる形で。
たしかに民主党はあまりにも不甲斐なかった。
他の野党もフニャフニャ過ぎた。
だから実態の良く分からないアベノミクスを掲げて、ほんのちょっと国民に夢を語った自民党が圧勝して与党になった。
そんな自民党に、憲法解釈すら捻じ曲げて法案を可決するほどの多大な権限を与えてしまったのは、選挙に無関心を決め込んだ人達含めた私たち国民自身。
そんなことは言われなくてもわかってる。
でも、「そのツケだよね」、と言い放つには、あまりに重い。