「ソーシャル・イノベーション(社会変革)」という言葉が、NPO業界や特に先進的な企業の中で聞かれるようになって数年、その間も国際社会での日本の存在感は低下し続けてきた。中国や韓国との軋轢も日本経済にじわりと影響を与えている。
その中で苦しみ続けるメーカーを中心とした日本企業は、従来までの事業への閉塞感を感じつつもドラスティックな舵の変換をできずにいる。
ソーシャル・イノベーションという言葉は、このような日本社会全体の閉塞感の打破を含めた突破口の一つとして多くを期待されているようだ。
社会起業家と呼ばれるような人たちが注目されているのもそのあらわれと言えるだろう。彼らが行っていることはたしかにソーシャル・イノベーションであり、国や行政だけでなく企業も注目するに値する取り組みが多い。
現在までの日本の数十年を振り返れば、私たちは世界の中で天国のような社会を実現させてきたと言える。
もちろんその間にも日本社会に多くの課題があったのは事実だが、「社会課題」という言葉が指すものは、多くの場合、社会的弱者を指すものであり、自分たちが社会課題の対象であるという意識を持って生活していた日本人は少なかったはずだ。
しかし、今、日本社会における「社会課題」は、少子化や高齢化に代表されるように、日本人全体が巻き込まれ、いわゆるマジョリティがその対象となってしまった。
企業が取り組もうとするソーシャル・イノベーションは、まさにこの点において多くの可能性を秘めている。社会的弱者がマイノリティの枠にとどまっている限りにおいて、それをビジネスで解決していくというのは難易度が高く事業の持続性という点で多くの課題を抱えてしまう。
しかし、これがマジョリティになると一気にビジネスチャンスの沃野が広がってくる。
今、「社会課題の解決をビジネスで行っていく」という言葉にリアリティがあるのは、その対象者が多いことから、ビジネスとして成り立つ、あるいはスケールメリットを打ち出すことができる可能性があるからだ。
本来、社会課題は社会のニーズであり、社会のニーズには必ずビジネスチャンスがある。
それは昔から変わらぬ真理であり、実際、日本が戦後の焼け野原から著しい経済発展を遂げた母体となったのも、まさにこの考え方に基づいていた経営があったからであることは今さら指摘するまでもない。
日本企業は自らのビジネスを社会課題の解決によって成長させてきたという歴史を持っている。
しかし、今の日本企業にはその考え方そのものが失われていると言わざるを得ない部分が多々見受けられる。
社会が一定の成熟を果たした今、たとえば白物家電に代表される電化製品の領域では、日本市場の中で突出したニーズを創出するようなことは限りなく困難だ。付加価値化というようなオブラートでは、大企業の経営を支えるような爆発的売上は生み出せない。
このような成長社会から持続可能社会への転換期という物が売れない時代に日本企業はどう生き残れるのか、あるいはどうあるべきか、を考えると「ソーシャル・イノベーション(社会変革)」という領域での新規事業への取り組みに行きつくことは間違っていない。
今、社会の中でそのような動きが始まっていることはもっと多くの企業が注目すべきことである。
それらの萌芽は今は小さいが、それらが持つ社会のニーズの大きさは、少なくとも日本企業に多くの学びと将来の可能性を感じさせるものであるからだ。