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企業寄付のあり方を問う

■寄付したお金はどこへ■

みなさま、新年明けましておめでとうございます。今年もスーパー広報術読者さまのご厚意で「CSR広報の時代」を続けることとなりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は、昨年から続く不況の波を受け、CSRにも大なり小なり影響が出る年になると思います。先日、ある新聞社から「この不況でCSRとしての企業からNPOなどへの寄付は減っているか?」という質問がありました。

今回の不況が急激なものであったため、今のところ、それを裏付けるデータはありません。しかし減っていることは間違いないでしょう。とある大企業は、広告宣伝費の7割近いカットに踏み切っています。そのような危機的景気状況の中で寄付が減らないわけがありません。

そこで今年の第一弾は、「企業の寄付と広告」について書いてみたいと思います。

不況の折ではありますが、広報または広告の内容に市民活動への寄付を取り入れる企業数自体は増え続けてきています。

その内容は、「○○という団体の活動を通じて、開発途上国の子ども達に学べる環境を提供しています。」や、「○○を通じて、環境の保全に協力しています」というようなものです。

これらの広告を目にする機会が増えるというのは、「寄付」を通じて企業と市民活動の接点がそれに伴って増えているわけで、市民活動側にとっては、とてもありがたいことです。

では、ある市民団体に企業が100万円の寄付を行ったとしてその100万円に相当するバリューを市民団体側は企業に対して提供できているでしょうか?

もし、皆さんの働いている会社で市民活動団体に寄付を行ったことがあり、 「寄付はしたけど納得感が少なかったなぁ」という思いがありましたら、ぜひ以下をお読みいただいてご意見をいただければと思います。

■寄付の意味は「平等の関係性」■

通常の商行為においては、顧客が払う対価として商品をやり取りします。つまり、払った代金に見合うだけの成果が期待されているわけです。それ故に払った代金に見合うものでなければ、返品やクレームへとつながり、それが商品を販売した側の反省や改善へとつながります。

これが寄付となると、善意性というか、贖罪性というかが、そもそも「対価を求めているものではない」という意識の形で結晶化します。

そうすると、寄付をした団体の活動が思ったものと違っていたり、お礼状の一枚も来なかったとしても、「こんなもんか、仕方ない」で済ませられてしまうわけです。

神社の厄払いであれば、「今年は厄払いを○○神社に大枚はたいて行ってもらったけど、ロクな年じゃなかった。」と思ったとしても「あそこはご利益がないから次回からはもう行かない」でいいのですが、市民活動への寄付についてはそれで済ませないでほしいのです。

なぜなら、市民活動というのは、企業活動と対等でなければならないからです。
企業には「寄付という形でお金を市民活動に恵んでいる」、または「お金を出す企業のほうが市民活動より上だ」、などという目線で見てもらいたくはありません。単なる広告のために利用するだけ、などというのは論外です。

また、市民活動側にも、「私たちは良いことをやっているのだから、金儲けばかりしている企業なんかよりよほど偉い。企業は私たちに免罪符として寄付をして当たり前だ。」などと勘違いしてもらっては困ります。

対等な関係性の中で、社会をより良くするためのリソースの一つとして、企業は市民活動に寄付をするという状態でなければ、実りのあるものにはならないのです。

その視点で見れば、市民活動側は、寄付の対価に値する成果を社会できちんと果たさなければなりません。うまく果たせなければ、それは反省に値しますし、改善しなけれぱならないものです。

これを市民活動側が果たせた時、企業の寄付はWinWinの関係の中で、きちんとした成果を上げたと言え、企業側も満足感を得ることができます。広告展開とその価値を考える上でも、まずはここがスタートラインです。

この状態は、コストとしての寄付や免罪符としての寄付ではなく、投資としての寄付と考えても良いものです。

投資という視点が持てるような価値のある寄付であれば、たとえ不況下であったとしても、将来を考えれば継続し続けるものであり、せっかく上げた利益の一部を削ってでも行うべきものとなるのです。

次回は、それを踏まえた上での寄付先の選定方法、バリューの計測方法、その確認方法などについて考えていきましょう。

☆ここがポイント☆

1.企業が市民活動に寄付する時、その対価に値する成果をきちんと寄付した側にも求めなければならない
2.寄付をもらった市民活動側は、もらった寄付に値するだけの価値を社会で果たさなければならない
3.その上で、寄付する側と受ける側は対等な立場でなければならない