「スーパー広報術」というサイトのメルマガで「CSR広報の時代」という連載をさせていただいています。
その内容を一部リメイクしてこちらに掲載いたします。
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■「官民協働」で疲弊する市民活動の謎
数年前から「協働」という言葉を目にする機会が増えました。「協働の時代」ということを言う人もいます。これは、主に二つのトレンドによるものです。
1)地方自治体とその地域で活動しているNPOやボランティア、いわゆる市民活動とのコラボにより、行政だけでは解決できない問題を一緒に解決していこうという新しい流れの加速。
2)企業と市民活動とのコラボがCSRの普及と共に加速。
このコラムを書く中で、「CSRの広報には第三者を巻き込むことが重要」と繰り返してきました。この第三者は、市民活動が大きな役割を期待されるところであり、ここに「協働」というものが生まれる土壌があります。
「行政と市民との協働によるまちづくり」、「企業が市民活動と協働してまちおこし」というような表現で語られるこれらの「協働」、一見、非常に美しいフレームですが、根本的な問題を抱えたままで走り続けている感が否めません。
そこでまず、1)の「地方自治体と市民活動の協働」について見てみましょう。これが加速した背景には、2003年に施行された「指定管理者制度」が挙げられます。
これは、それまで行政が管理していた施設などの、いわゆるハコモノを企業やNPOなどにも管理を委託できるようにしたもので、小泉内閣が推進した民営化対策の一つです。
それまで特定の外郭団体などにしか委託できなかった施設の管理には、経費節減意識の欠如や天下りなどの問題がつきまとっていました。したがって、この制度ができたこと自体は、地方自治体の財政改善に向けた流れとしては適切でした。
しかし問題は、行政側が市民活動を実質的にパートナーとして認めていない点にあります。
全国あちこちで、「市民活動という名の安い下請け」という実態がはびこっており、市民活動側からは「行政からの事業を受注すればするほど疲弊する」という声が上がっているのです。これは協働などというものではありません。
どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか?
■「協働」に立ちはだかる大きな壁
それは地方自治体で働く職員の意識がそういうものだから、というのが率直な私の感想です。たとえば、ある地域の問題を解決するために協働が必要だとすると、職員の方々は「誰々に○○させて解決する」という表現を使います。
この使役動詞はおかしい。
市民にサービスをするのが行政の役割である以上、行政が解決できない課題を解決してくれる市民活動はパートナー以上の積極的協力者であるべきです。それを「させる」と表現してしまう「お上思想」が最大の問題です。
したがって、事業予算も市民活動なんだから安くやって当たり前だ、という発想に基づいて設計されているのではないかという内容で、結果として地域の市民活動を疲弊させてしまうという最悪の循環を生み出す繭になってしまっています。
これは中央省庁よりも財政難が深刻な地方自治体のほうが壊滅的な問題を内在させています。そもそもの発想が「予算減のためにどこをどうやって削るか」であって、「市民のために限られた予算の中で何をすべきか」ではないのです。
山本周五郎は「歴史上、政治が市民のためにあった試しは一度もない」と断じていますが、そこまで悲観的ではないものの、この自治体職員のマインド変革という根本的な問題解決なくして、行政と市民活動との「協働」などは表面的なものでしかないと思います。
次号では、本筋となる企業と市民活動との「協働」について書きたいと思います。
■ここがポイント■
1.行政と「協働」すればするほど市民活動は疲弊するという実態
2.今のままの協働なら市民活動は行政の下請け
3.「協働」には、地方自治体職員のマインド改革がまず必須
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