「スーパー広報術」というサイトのメルマガで「CSR広報の時代」という連載をさせていただいています。
その内容を一部リメイクしてこちらに掲載いたします。
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最近、新聞などで見ない日はない「CSR」という言葉。しかし、その言葉を聞いて頭の中に浮かぶものは人によって実に様々です。それだけ社会には実体が見えていないものと言えます。
各企業の真摯な取り組みの一方で、その実体が社会からは見えない「CSR」とは何なのでしょうか? 自社の取り組みを社会に知ってもらうために必要な広報とはどのようなものでしょうか?それらをみなさんと一緒に考えていけたら・・・と思っています。
■阪神・淡路大震災と暴力団の(C)SR■
1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の時、遅れた政府の対応の影で、山口組が被災者に対して積極的な支援を行い世の中を驚かせました。それに対する日本全体の論調はかなり否定的でした。
「CSR」という言葉はまだ日本には無く、バブル経済によって花咲いたメセナによって、企業の社会貢献という言葉が社会に浸透してきていた矢先のことです。そのため、この行為も「暴力団の社会貢献」と表現されました。
当時、日本財団のボランティア支援部という部署にいた私は、震災後すぐに現地入りしました。まだ余震も続き、街には焼けた匂いが充満する中を歩き回り、後に日本の「ボランティア元年」と称される、震災ボランティアの黎明を目の当たりにしたのでした。
そこでは、たしかに多くの犯罪もありましたし、無秩序が支配する局面があったことも事実です。しかし、全体的に俯瞰すれば、やはり世界が驚嘆と畏敬を持って認めたように、神戸の人たちは大災害の中でも理性を失わず、人として生き、自衛隊からボランティアまで多くの方々が彼らを助けていたのです。
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そのような中にあって、組織的な動きとして社会貢献を行った山口組。彼らによって多くの被災者が救われたことは事実であり、少なくともこの部分については、これを社会は認めてあげるべきではなかったかと私は今でも思います。
これは社会貢献という(C)SRの一側面の例ですが、どのような組織であれ、社会の一構成員である以上、そこに(C)SRは存在し得るのです。
(C)SRの意味=本文中のCSRは、Corporate Social Resposibility の頭文字で、Cは企業です。SRは、企業は関係なく全ての組織(例えばNPOであっても) の社会的責任を意味しています。2009年の発行を目指しすISO26000では「C」が無くなりSRと謳われています。今後は徐々に、CSRより、SRという言葉を見たり聞いたりすることが増えてくるでしょう。
■CSRは企業活動の免罪符か?■
「CO2を大量に排出する製品を製造・販売しておきながら何がエコだ、環境保護だ!」ということを言われる方がいます。たしかにもっともな意見です。それに対する企業の「CSR」は、この言葉の持つ納得感に打ち勝つだけの勢いを持っていないように感じます。
それはなぜでしょうか? 一つの大きな理由は、「企業自身が自社のCSRにやらされ感を持っているから」ではないかと私は思います。CSRは、企業活動における免罪符などであってはなりません。
CSRは、多くの企業が掲げている高邁な理念を土台として成り立つものであり、企業の存在価値そのものと言っても過言ではないのです。自分たちは何のために存在するのか、CSRはそれを証明してくれる社会との共通言語なのです。
実際に、日本企業のCSRは、世界でも誇れるレベルにあります。コンプライアンスという言葉の持つ意味も法的尊守以上に社会倫理の尊守であり、不祥事を起こす一部の企業を除き、多くの企業はそれを当たり前のように実践しています。
CSRというものの持つこれらの性格から、CSRは広告よりも広報として世の中に判断を委ねた結果知られていくことが最も効果があります。広告として打ち出していくと、逆に社会はなかなか受け入れてくれないものです。
☆──[ここがポイント]────────────────────
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│ 1.世の中の全ての組織に(C)SRは存在する
│ 2.日本企業のCSRは世界でもトップクラス
│ 3.CSRを理解してもらうには、広告ではなく「広報」
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