あれから15年の月日が流れたと思うと、不思議な思いにとらわれる。
以来、神戸の街には幾度か足を運ぶ機会があった。今では震災があったことなどにわかには信じられないほど、街はかつてのにぎわいを取り戻している。
しかし、自分の中では、やはり神戸はあの震災の記憶のほうが強い。
■君こそ英雄 (私の神戸関連ブログ記事)■
http://blog.canpan.info/cosmo/archive/11
■君こそ英雄2 (私の神戸関連ブログ記事)■
http://blog.canpan.info/cosmo/archive/15
埃臭さの中に時折交る焼けた街の臭い。喧騒と静寂が同居したようながれきの山の上に抜ける澄んだ青い空。
夜になれば山のほうから、にわか雨に洗われたアスファルトのような臭いが、冷たい強い風と共に運ばれてくる。
なぜか視覚的な感覚よりも嗅覚的なところで記憶が強く残っている。自分にとっての神戸とは、そんな街だった。
視察の時に、とある重度の身体障害をお持ちの方のお宅に伺うことがあった。
障害を持った身で被災者となることの心細さは健常者以上だろうと思っていたら、その方は、元々不自由だからたいして変わらない、と言っていた。自分にとっては何かショックな一言だったが、その理由が当時の、公益に興味がほとんどなかった自分にはよくわからなかった。
今はよくわかる。
そんな自分が、企画して立ち上げたCANPANというウェブサイトは、昨年から「CANPANプロジェクト」として、単なる情報インフラの枠を超え、社会課題解決のためのソリューション提供のプロジェクトになった。
その一環として協力したのが今日のイベント、「ユニバーサルベンチャー・ビジネスプランコンテスト」である。
■ユニバーサルベンチャー・ビジネスプランコンテスト■
http://universal-venture.jp/
障害をお持ちの方が、自らが起業するためのビジネスプランを考えて自らプレゼンをする。
これは本当に素晴らしいきっかけを生み出す可能性のあるコンテストだと思う。
今回は第一回目、まだまだこれからの部分もあるが、可能性に期待したいし、このコンテストが進化していくことで、また社会の大きな課題の一つが解決に向かっていくことだろう。
15年前のあの震災は、部落問題をはじめとする災害とは直接関係のない様々な社会課題も浮き彫りにした。
その課題に正面から向かい合いがんばる人たちが神戸にいた。
その人たちを見て、「ボランティア元年」という言葉も生まれた。
この定義は正しくないと思う。あの、日本人が経験したことのない近代都市の大震災の中ですら、日本人は人間としての尊厳を失わず、都市はそれなりの秩序を保っていた。
そんな日本人は、世界に向かって日本人であることを誇りに思っていい。
だから、元々日本人の中にあった助け合いの精神をボランティアと呼ぶのならそれもいいだろうが、それを元年などと定義づけるなど、全く無意味だ。
それはともかく、障害を持っているから起業してはいけないなど誰も決めていない。障害を持っているから社会から助けられ続けて生きていくしかない。そんな風に定義してしまうのは健常者のエゴだろう。
そんなことを証明してくれるような素晴らしい企画とアイディアで本当に起業し、ビックビジネスが立ち上がる日を楽しみにしている。
今日という日、または今年が、まさにユニバーサルベンチャー・ビジネスの「元年」になってほしいと切に思う(笑)
ファイナリストのみなさん、本当にお疲れさまでした!
そして、神戸の震災で犠牲となられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。