インターネット世界における勢力抗争を実際の戦争に例えた場合、大きく異なる点が2点ほどある。
一番大きな点は、突然降って湧いたような新技術、またはアイディアが出現して勢力図を一気に塗り替える可能性が高いという点だ。
具体的事例で言えば「Google」の出現がまさにそれである。
通常の戦争においては、敵の新兵器というものは、味方でも想定している、または研究や開発中であるといった状態で使用されるため、使われた側は先を越されたという気持ちと共に唇を噛みしめ、その兵器の威力を目の当たりにすることになる。
つまり、実際の戦争において、敵の新兵器使用は「予想できる範囲内の出来事」であり、石器時代にミサイルが出現するようなことはないのである。
しかし、インターネットの技術戦争ではこれが容易に起きうる。
そして、もう一点は、必ずしも金持ちが勝つことはないという点。別な言い方をすれば、商人との結びつきがなくとも勝てると言うこと。
中世ヨーロッパにおいて十字軍を支えたヴェネチア商人、チンギス・ハーンの世界征服を支えたシルクロード商人、織田信長とつながっていた堺商人、最近ならアメリカの軍需産業。戦争の影には常に商人の意思が動いている。
しかし、インターネットの世界では、商人というアイテムは勝つための必須条件ではない。つまり、ある個人が何の制約もない状態で世界を席巻できる可能性を持っている。
この二つの特徴は何を物語るか?
それは、インターネット世界が、「戦略的優位が戦術のみで容易にひっくり返るという別世界」ということである。
つまり、リアルの世界での常識である「戦略的勝利が戦術的勝利によって一気に覆るということはまず有り得ない」が、容易に起こり得る世界なのだ。
逆にそれこそがインターネットに大きな可能性を感じる部分でもある。ちょっと意味合いは違うが、アメリカンドリームの世界と言ってもいい。
変な表現ついでに、ジョン・レノンが歌った「イマジン」の世界が実現されるとすれば、それは人間の精神面において、インターネットのバーチャルな世界がリアルな世界を乗り越えた場合か、ドラえもんが「どこでもドア」を出してくれた場合しかあり得ないと思うのだ。
人間はきっと三次元という中途半端な世界を持て余しているのだと思う。「欲」というものは、人間の住む世界が二次元に落ちても四次元に上がっても、一気に減少するだろう。(減少することがいいかどうかは別として)
ちょっと意味のわからないことになってしまったので戻すと、CANPANが、世のため人のために「これはすごい!」というようなアイディアを具現化したとして、それを誰もが使い始めたら、それはGoogleが提言する「インターネットの意思」として、確実に世の中は良くなっていくだろう。
そこには特定の商人の意思だとか、特定の人の政略的な意思だとかの入る余地が無い。
やや逆説的な言い方になってしまったが、だからこそ、CANPANは成功しなければならないのだと最近思う。