法令というのは、日本社会におけるOSみたいなもので、パソコンで言うところのWindows。さしずめ行政の条例は、その上で動くアプリという感じ?
国会議員の功績の一つの指標は、法案の提案数とどれだけ成立させたか。
だから国会議員も官僚も必死で新しい法案を提案して予算を獲得しようとする。
古くは戦前から残ってるOSもあるものの、それが戦後70年続いた。
そしたらどうなるでしょう???
みなさんも思い当たるはず。買ったばかりの頃はさくさくと動いていたWindowsパソコンがものすごく重くなった、という経験。
WindowsというOSは毎日のようにプログラムの修正や脆弱性を埋めるパッチと呼ばれるプログラムが追加され続け、結果としてものすごい負荷をパソコンにかけていき重くなるわけです。
電源を切ろうとすると勝手にインストールが始まって「おいっ!」となった人も多いはず。あれです。
法令が日本のOSだとして、戦後70年、パッチが当て続けられてきたわけです。
私には、今の日本社会がものすごく重たくなった古いWindowsに見える。
国民がより良い生活を送るためのはずのOSが重くて社会のお荷物になって、しかも金ばかりかかる。
できればOSもバージョンアップしてしまうくらいの抜本的な改革をしたいくらいですが。。。
予算は全て根拠法に基づいて決められる。つまり法令が残り続ける限り多寡はあるにせよ、予算を付ける動機づけを避けられない。だったら、そもそもの根拠を無くさないとダメですよね。
私の提案は、すでに社会的役割を終えた法令を廃止した数を国会議員の成果の一つと見なし、可視化してあげる仕組みを作ること。
それによって既得権益化した予算も見直され、本当に必要なものへとスリム化が進むのではないか、いや、進めなきゃ、と。
今の社会とWindowsの重いパソコンを使い続けることの息苦しさは、なんだか似ていると思うわけです。