空手に興味の無い人には全く理解できないと思いますが・・・
空手には寸止めとフルコンタクトという大別すれば二つの流派があり、双方の流派はこれまでめっちゃ仲が悪かったんですね。
特に、このニュースにある二つの流派、それぞれの最大流派である全日本空手道連盟と極真会館は、歴史的経緯もありますけど、KING OF 犬猿の仲。その二つが東京オリンピックの競技入りに向けてまさかの大同団結。
■空手の東京五輪競技入りへ全日本空手道連盟と極真会館が歴史的合体■
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/367693/
これは、双方の流派で空手を修行した身としては本当に「マジで?!」という感じです。
一方で、空手がオリンピック競技になる必要性については、個人的にはどちらがいいのかわからない。
ただ、それを目指すことで、これらの流派が積年の壁を超えてお互いを認め合うことができたことは大きいなぁと。
自分の場合、学んだのは空手がメインで、柔道・剣道という他の日本の武道も一応なんちゃって修行をしました。
そこで感じたのは、それぞれの武道は学ぶ体技と技術は全く違えど、学ぶ精神は「道」であるということで、これこそ日本文化の一つだと思うわけです。(なので、空手は空手道というのが正しいと。)
オリンピックもその精神の根本は一緒のようですが、柔道の身勝手なルール変更などを見ていると、柔道が生まれた国の文化を尊重してくれているとは到底思えず、「道」という精神もそこには感じません。
オリンピック種目になったら「空手道」ではなく、「空手」になっちゃうんだろうし。したがって、それは空手という競技ではあっても「道」ではない。
だとしたら、空手道がオリンピック競技になる意味って何でしょうね。
そして、今は共通の目的を得て大同団結しましたが、もし競技になっちゃったら、そのルール作りとして「寸止めかフルコンタクトか」という、その点でまた争い出して、どっちのルールに転んでも今度は修復不可能な溝を生んでしまうような気もします。
そうならないで、空手道のためにお互いに進化してほしいな、と。
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道徳なき経済は犯罪であり 経済なき道徳は寝言である by 二宮尊徳
力なき正義は無能であり 正義なき力は暴力である by 大山倍達(極真空手)
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なんとなく似てる。