2008年1月27日まで、江戸東京博物館で特別展「北斎展」をやっていたので、寒風吹きすさぶ中、朝も早くから観に行った。
葛飾北斎の人気は最近ますます上がっているように思う。
そのおかげもあって、このような形で北斎の絵を見るチャンスに恵まれることはとてもありがたい。。。
そして、もう一つ、一人の画家にフォーカスした展示会というのは、その人物そのものに迫ることができるという点においてさらに興味深い。
同じ画家であっても、いや、それだからこそ、その人生の中で描かれた絵にはその時に画家が考えていたことや環境などが反映する。それを時間を超えて確認する作業というのは、歴史を紐解くようで楽しい。
それが浮世絵の場合、さらにもっとストレートに歴史を知ることができる。
歴史上、文字による記録というものを庶民が手にしたのはさほど古い話ではない。
例えば、平安時代、京都には多くの町民が生活していたことはわかっている。しかし、それだけの人たちが何を生業として生きていたのかはよくわかっていないのだ。
なぜなら、彼らは自分たちの行動を逐一文字に書き残したりしていないからである。
つまり、一部の上流階級の行動は公式文書も含め数多く残されている。
しかし、それ以外の人たちが一体何をしていたのかは公式文書にはほとんど書かれていない。したがって文字で確認することが非常に困難なのである。
そこで役に立つのが洛内洛外図のような絵。これらは当時の街の様子やそこで生活している庶民たちの姿をそのまま描いている。したがって、それらを読み解いていけば彼らの生活の一部が垣間見えるというわけだ。
その江戸時代版が浮世絵である。
もっとも江戸時代というのは、世界でも稀有な、平和な時代が200年以上も続いた時代なので、ここで花開いた文化は江戸の町民と一体でもあった。
したがって町民の様々な暮らしぶりは町民自らが文字に残していたりするので、浮世絵はそれらの文字情報を視覚情報に変換しているというほうが正しいかもしれない。(「かわら版」の登場も江戸時代。)
江戸末期には「街道ブーム」のようなものが発生、庶民がこぞって東海道を旅するということが流行ったりしたが、これはいかに治安が良かったかの表れでもある。
余談が長くなってしまった。。。
その北斎展で一つ気になる絵があった。
「海女」を描いた絵なのだが、身体が奇妙な描かれ方をしているのだ。
ものすごい不自然な歪み方をしたその身体の描き方について、博物館のほうでは理由がよくわからないというコメントがついていた。
私はこの歪みは、水面上から水面下の海女を見た時のゆらぎの表現ではないかと思うのだ。
北斎がこの絵を描いたのはおそらく船の上である。
そこから海女が海に潜って、また戻ってくるというのを熱心にデッサンしたのだろう。
となると、水のゆらぎを当然表現するはずで、それを北斎流に描いたのがこの歪みなのではないだろうか。
というのは、自分もそのような経験があるからだ。プールで潜る友だちの姿を見ていて、別の生き物のように見えた。奇妙な揺らぎの中でそれは不思議な光景を醸し出し、なんだかとても怖いものを見ているような気になった。
それは底が二メートルもないようなプールでのことだったが、海女が潜る海はどこまでも黒い底である。底知れぬ黒の中で揺らぐ海女の白い肌は、より印象深いものであったろう。
浮世絵のすごさを写実性に求めるのは意味が無い。同時代におけるヨーロッパの写実性は浮世絵のおよぶところではない。
それこそギリシャやローマ彫刻が紀元前にはすでに立体的な造形を完成させていたのに対し、日本の彫刻が同じような表現技術を獲得するには約1,000年の時を経、運慶の出現を待たなければならなかったのと同様である。
では、浮世絵の凄さとは何か?
それは、心の眼の表現だと思う。(すでに誰かが同じようなことを言っているのだろうと思うが私は研究者ではないのであまり論文等に興味が無い。)
北斎展では、他にも有名な「赤富士」「黒富士」なども展示されていたが、写実性を優先させるとするならば、こんな富士はあり得ない。ましてや有名な「品川沖浪裏」の巨大な波の間から富士が見えるなどもっとあり得ない。
しかし、そのくらいにすごい波に船がもまれているという情景を我々はその絵から感得することができる。
この制約の無いデフォルメこそが浮世絵の強みであり、この遊び心というか、心で感じた色と形を自由に表現する技能こそが浮世絵の凄さなのだとあらためて思う。
この発想の自由さと大胆さ、表現の多様性は、そのまま今の日本のマンガ文化につながっているようにも思う。
世界から認められる「MANGA」の源流は浮世絵にあるのではないだろうか。
【写真は江戸東京博物館ウェブサイトより】