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夕暮れ富士に思う

東京から富士山を見れるのは、朝が多い山

夕方は、たとえ雲が少なくても、空気が汚れてしまうためになかなかキレイには見れない。

しかしさすが正月休み、こんなにキレイな夕富士を見ることができた。

現在、日本の各所で人口の一極集中化が問題視されている。
特に東京などは不動産の値上がりが著しいと言われる。
だが、実際に値上がりが本当に激しいのは、その東京であっても一部の地域だけだ。他の地域はそれほどひどいわけではない。(それでも地方都市に比べれば高騰していると言えるが・・・)

この一極集中化の一方で、地方の過疎化とその活性化が大問題になっている。
地方の活性化には日本の人口が平均化することが一番の対策だと思うが、その逆はあっても平均化は起こりそうもない。

むしろ社会のインフラ事情を考えると、日本全国津々浦々に光ファイバー網を敷設するよりも、一極集中したところだけに絞ったほうが経費も抑えられるし環境も破壊しないのではないだろうか。

いっそ思いきって、日本に人が住む場所は「こことここだけ」と限定してしまってはどうかと思う。

住む場所という語弊があるかもしれない。要するに社会のインフラが整備された地域を限定するという意味である。他の地域に住むことももちろんできるけれども、それは小さな島に住むのと同じで、自然は多いけれどインフラ的には脆弱になることを甘受することが前提、というようなことである。

最近、脱サラして沖縄に移住する人が多いというが、こういう方々は、その道をあえて選択した方々なのだろうと思う。

全ての地域で誰もが同じ生活環境を享受できるというようなユートピアの出現など幻想でしかない。にも関わらず、私たちはその理想が実現しないことをいたずらに嘆いているような気がする。言葉を変えると権利ばかりを主張しているような気がする。

だから、人生における環境設計においても、何を選んで何を捨てるのかを考えて生きる方法を一人一人が選択する。それが権利であり義務として当たり前というようなことになれば、政治的・行政的に日本社会が抱えている大きな問題のいくつかはクリアできるような気がしている。(郷土愛的にも、そう簡単に割り切れれば世話はないことは重々承知なのだが・・・)

帰省されていた多くの都民が明日あたりからまた東京へ戻ってくるだろう。
その賑わいと共に失われるキレイな空気を、私は東京に住む以上は惜しむべきではないと自分自身に言い聞かせ、窓を閉めた月