すっかり夜になった大手町には、このような案内標識が立っている。
「将門首塚(まさかど くびづか)」
そして、70m進むと
「将門塚(しょうもんづか)」
うーむ・・・正式名称はたぶん「将門塚」のほうではないかと思うが、伝説に重きを置くなら首塚が正しいだろう。(案内標識は、首塚のほうが皆にとって通称的に分かりやすいのでそのように記載してるだけかも。)
ただ、どちらも正しくないかもしれない。というのは、ここはどうも古墳であった可能性が高いからである。詳しくは知らないが、ここからは元々石室などが見つかっている。
つまり、誰かのお墓として祀られていたところに将門公が転がり込んだ感じだったら楽しい・・・将門公という人は、なんとなくそういうお茶目なところがあった人であるように私は思うからだ。
戦後の区画整理時に工事関係者が事故に遭うなどして、そのままここに残されることになった将門塚。そういった呪いや祟りなどが実在するとは私には思えない。おそらく偶然やわかれば納得のいく理由があるものだと思う。
ただ、「祟りがある」と生きている私たちが信じることは重要である。そこに畏敬の念が働くからだ。新年への祈りもそうだし、ご先祖への敬いもそうだが、人という生き物はつくづく自分で自身を律するということが苦手な生き物なのだと思う。だから先人や神の力によってそれを正そうとするのだと。
夜の将門塚は、年末のあわただしさを映す周囲のビルの中で、光もあたらず(周囲のビルには将門塚に向かって窓がほとんど無い「見下ろすのは不敬だから」)、ひっそりと佇み、なんだかとても気持ちが良い場所で、上野東照宮 → 神田明神 → 浅草寺 → 将門塚というよくわからないツアーを終えるにはちょうどいい場所だった。
来年はどのような一年になるのだろう・・・
今年、お世話になった本当にたくさんの方々に御礼申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。