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大阪万博は社会の「失望」を映す鏡なのか【オルタナ総研所長コラム】

オルタナ総研 所長を務める弊社代表 町井によるコラムです。

◼タイトル
大阪万博は社会の「失望」を映す鏡なのか
https://www.alterna.co.jp/152938/

〜 記事のポイント 〜

  1. 「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに大阪・関西万博がついに始まる
  2. 1851年のロンドン博覧会以来、万博は世界の「今」を切り取り、象徴してきた
  3. しかし、建築費や廃棄物を考慮すると、大坂万博は失望の象徴になる可能性も

 

いよいよ大阪・関西万博が4月13日に始まる。これまでにも大阪万博開催に向けて本当に様々な話題が世間をにぎわせてきたが、開催期間中、そして終了後も話題に事欠くことのない状況になりそうな気配である。
「万博」という、世界の「今」を一堂に集めるフォーマットが発明されたのは第一回目となる1851年のロンドン博覧会だ。この時代の世界はグローバル化が進み、資本主義が飽くなき膨張を始める時代に移行する大きな節目にあった。人々はまだ見ぬ多様な世界に関心を寄せ、それらを集約し時代を切り取って見せてくれる万博に熱狂した。
それから150年、万博は様々に変化しつつも「世界の今を象徴するアイコン」という土台は変わっていない。大阪万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だという。素晴らしいテーマだと思うし、テーマのベースにはSDGsも組み込まれている。
そして、コンセプトの「未来社会の実験場」というのも時代の切り取り方としては間違っていない。今、日本だけでなく世界中で社会課題の解決に向けた様々な取り組みがセクターを超えて進められている。これらはまさに社会の実験場と呼べるものだ。
私も自分が関わるプロジェクトではこの言葉を多用してきたし、13年前に企画した「未来を変えるデザイン展」でもメインテーマとして使った。今の社会課題は人類が初めて直面する課題も多く、解決のためにはグローバルなつながりも必要だ。
その中で泥臭く試行錯誤を繰り返し、より良い道を模索するしか方法が無い。展示される国内外のパビリオンのテーマや内容も社会課題起点で「持続可能な未来」を見せようとしているように見える。

■なぜ万博に違和感を感じるのか

しかし、私はもちろん、多くの人が違和感を覚えているのはなぜか。その理由の一つは、テーマやコンセプトと実際の会場とが乖離していることにあるだろう。

社会課題は増え続け、しかも深刻化が止まらない。このままであれば遠くない未来に文明が滅ぶ可能性すらある。そして、私たちの今の生活は厳しく未来に不安を感じている、そんな社会からの声と大阪万博の浮世離れした会場の様子に違和感を覚えるのだ。
大阪万博の会場に足を運べば、そこには様々な刺激に満ちたパビリオンが私たちを迎えてくれるはずだ。それは、きっとエンターテインメントとしても純粋に楽しいはずだし、刺激的なものであるだろうことは間違いない。それはそうだ、今のところ純粋な会場の設営費だけでも2,000億円を超え、会場へのアクセスなどを含めれば約1兆円をかけるのだ。それなりのものができて当然とも言えるだろう。

このうちの1兆円は夢洲(ゆめしま)における大阪万博閉幕後の跡地活用に向けた費用を含んでいるので、大阪万博のみの費用ではない。すでに開発が進んでいる統合型リゾート(IR)など都市計画の一環であり、大阪万博はその都市計画のきっかけを告げる打ち上げ花火的なシンボリックアイコンである。
何かと話題になっている大阪万博の象徴である大屋根リングは「多様でありながら、ひとつ」を象徴しているのだという。多様なパビリオンを一つの輪の中に入れるという壮大なコンセプトを木材で表現し、世界最大の木造建築としてギネス認定もされた。

発想は素晴らしいのだが、わずか半年の開催のために建築費だけで345億円もかける必要はあったのか、再利用するための解体費も増える見込みで、しかも大部分は廃棄されてしまう可能性が高いという。そんなリングのどこに私たちは「持続可能な未来」を見ればよいのか。結果的に、宇宙からも見えるだろうこのリングは「持続不可能」な未来とその「時限」を表してしまっているように思えてならない。

実施に伴い大小様々な問題が多発している大阪万博、それは一部には大型イベントを仕切ってきた広告代理店がそれを担えなかったことに端を発しているとも言われるが、それも含め、日本社会の既得権益や歪みを浮き彫りにしてしまったとも言える。
万博の歴史が世界の「今」を切り取って見せてくれてきたことに思いを馳せる時、今回の大阪万博が世界の「混沌」や「歪み」といった今を切り取り、私たちの「失望」の象徴となってしまわないことを祈るばかりである。