「CANPANプロジェクトのあるべき姿とは?」・・・
年度末というのは、来年度の事業計画や予算を考えなければならない。
その中で、昨年の11月くらいからずっと冒頭のこのテーマについて考えている。
いや、毎年、この時期には必ず考え続けて悩んでいる(笑)
ある意味、中長期戦略を毎年見直しているようで、恥ずかしいのだが、そのくらいCANPANプロジェクトは可能性もある一方、運用や見通しが難しくもある。
結果として一年前の資料をひっくり返して読んでみると、戦略的な軸はぶれていないのだが、想像していた戦術など全く採っていない場合も多く驚いてしまう。
つまり、それだけCANPANプロジェクトとは変転流転、走りながら形が作られているということかもしれない。
CANPANの企画を最初に考えた時、「CANPANとは、公益業界における社会実験場」と位置づけたが、「公益業界における」が今は取れたものの、社会実験場である性格は変わっていないということだ。
個人的には、「一寸先は闇」状態が嫌いではない。10年後が不安という人の話をよく聞くが、生きているかもわからない10年後の心配などしたくないし、そもそも10年後の未来がわかって楽しく生きていける気がしない。
一寸先が崖では困るが、少なくとも闇でも「一寸先は前」であれば、あとは少しずつでもいいから進んでいければいい。
前置きが長くなったが、「CANPANプロジェクトのあるべき姿とは?」を考えているうちに、「シナジーメーカー」という言葉が生まれた。
Googleで調べてみたが、そんな言葉はないようなので、「ソーシャルエリート」に続いて、この「シナジーメーカー」という言葉も世に送り出すことにした。
■ソーシャルエリート■
http://blog.canpan.info/cosmo/archive/219
「産官民学」の連携や協働ということがよく言われるが、これらの領域は黙っていたら正直つながらない領域である。
逆に言うと、社会がうまくいっている時には、これらの領域は別につながらなくてもいい領域とも言えるが、今の複雑な社会課題の解決には、これらの領域がつながらなければ解決などおぼつかない。
したがって、それらをつなぐ触媒の役を果たす機関なり、制度なり、人が必要だ。
日本財団は、それになろうとしている組織の一つであるが、それは誰でもできるというわけではない。
それぞれの領域とつながっていて、それぞれの領域の特性を知り、さらに言うと、まるでシェフのように食材と食材のコンビネーションでおいしい料理を創るにも似た、アレンジができなければならない。要はプロデューサーである。
それができると、そこにはそれぞれの強みが活かされ、弱みを補完し合う素晴らしいシナジーが生まれ、結果として社会が良くなっていく、という構図が出来上がる。
これを生み出すプロジェクトとしてのCANPAN。
うーん、なんだか今のCANPANの状態にすごく似ている気がしてきた・・・のである。
シナジーメーカーとしてのCANPAN、「我こそは!」という方はぜひ本プロジェクトに力を貸してほしいし、関わって欲しいと思う。