お招きにあずかり、「GATE」という映画を観る機会を得た。
また、実際に映画を撮影したマット・テイラーさんから直接お話しを伺うことができた。(この話が本当に良かった。個人的には映画よりも良かった。)
【写真はこちらのオフィシャルページから拝借しました】
知る人ぞ知る映画であろうと思うのだが、恥ずかしいことに全く知らなかった。
鳩山首相も数回観て、元ロシア連邦大統領のプーチンさんも観て号泣したというこの映画、ものすごく考えさせられる内容であった。
一番考えさせられたのは、この映画によって、様々なことが動き始めたという事実である。
最も象徴的なことは、この映画の中にある、60年間決して開くことのなかったトリニティのゲートが初めて開いた、その事実であろう。
反核でも、反戦でもなく、広島の原爆の火を、それが人類史上初めて生まれた場所、「トリニティ」に戻す。ただそれだけの行為。
それを淡々とドキュメンタリーにした映画が、なぜ今まで反核や反戦が叫ばれ、活動が続けられたのに世界が動かなかった、その扉を開いてしまったのか?
その行為になぜプーチンさんは号泣したのか?
なぜ松島菜々子さんをはじめ、世界中の有名な女優やアーティストがボランティアで参加してくれるのか?
世界はそれに価値を見出すのか?
なぜブッシュ大統領(当時)は、「一人の人間として彼らにゲートを開かないわけにはいかない。しかし、大統領として開くわけにもいかない。」と言ったのか?
こういう活動の場合、人はモチベーションと共に動くものだ。
そのモチベーションは、その内容が悲惨であればあるほど、社会に対しては鋭角になる場合が多い。
しかし、GATEに出てくる僧侶達の活動は全く尖っていない。本当に穏やかな水面のようだ。
「北風と太陽」という逸話があるが、この映画は、それを反戦と反核運動というカテゴリで行う究極の形の一つであるように思った。
世界を良くしたい、そのために世界を動かしたい、または世界に動いてほしい、そのきっかけを作りたいと思ったら、このGATEの活動と広がりに、そのお手本となる秘訣がたくさん詰まっていると思う。
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原爆を使ったアメリカの行為を許容するのは人類としてNGだと思う。
しかし、それが市民への無差別虐殺であったと認めたアメリカという国はすごいと思う。
そして、60年という時間は必要であったかもしれないが、GATEを開いたアメリカ人もまたすごいと思う。
※最後にゲートを開けるかどうかの判断を、ホワイトハウスはその日の担当門番に一任し、太平洋戦争で日本人の捕虜となった父を持つその担当官は絶対に開けないだろうと思われていた。しかし門は開けられた。それが国というより「アメリカ人」のすごさである。
これは、100人が観たら、100通りの思うことがある映画である。
ぜひ機会があれば、観てほしい。
ご招待くださった皆さま、ありがとうございました!