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自転車の青切符制度から学ぶ「持続可能な社会」とは【オルタナ総研所長コラム】

※弊社代表の町井による「オルタナ総研所長コラム」

◼タイトル
自転車の青切符制度から学ぶ「持続可能な社会」とは
https://www.alterna.co.jp/171012/

■記事のポイント

2026年4月から自転車への「青切符制度」が施行された
交通制度が厳格化しただけでなく、その背後にある大きな変化の象徴だ
この変化を知ることで「持続可能な社会」のあり方が見えてくる

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2026年4月から自転車への「青切符制度」が施行された。実は、このことは交通制度が厳格化しただけでなく、その背後で進むより大きな変化の象徴でもある。この変化を知ることで「持続可能な社会」のあり方が見えてくる。

自転車の青切符制度では信号無視や一時不停止など約113種類の違反に対し、6000円〜12000円程度の反則金が科される
2026年4月、自転車への青切符制度が施行された。違反対象は113項目に及ぶ。「信号無視」「ながらスマホ」「傘差し運転」「二人乗り」など、これまで「指導」や「注意」で済まされることも多かった行為が、反則金を伴うペナルティの対象になった。項目数の多さに、「現実的ではないのではないか」と感じた人も少なくないだろう。

もっとも、この改正には明確な背景がある。自転車事故の死亡・重傷事案の約4分の3で、自転車側の法令違反が確認されているという現実だ。安全を守るために、これまで以上に明確なルールが必要になったという点で、今回の制度見直しは一定の合理性を持っている。

実は、この出来事は交通政策の話にとどまらず、その背後で進んでいるより大きな変化の象徴でもある。

■「受動喫煙」「パワハラ」など、法制化相次ぐ

ここ10年ほどを振り返ると、「マナー」や「配慮」、「空気を読む」ことで処理されていた社会的領域が、次々と法的義務へと移り変わってきた。「受動喫煙防止」「パワハラ防止」「カスタマーハラスメント条例」「あおり運転の厳罰化」などは、その代表例だ。

暗黙の規範が明文化され、制度として執行可能なものに変わっていく。この流れは、社会学的には「社会の法化」と呼ばれる。

ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが『危険社会』で論じたように、近代社会が成熟するほど、人々は制御しきれないリスクに敏感になり、不確実性を制度で囲い込もうとする。

これはある意味で自然な流れでもある。社会が複雑化し、多様な価値観を持つ人々が同じ空間で生きるようになるほど、「善意に任せる」だけでは安全も公平も支えにくくなるからだ。

ただし、この流れには代償もある。ルールが増え、違反の摘発が容易になり、相互監視の目が細かくなるほど、人は社会を「安心できる場」ではなく、「常に見られ、評価される場」として感じやすくなる。

■安全と引き換えに「息苦しさ」増える
■コンプライアンスの先にある「文化」の追求を
■法的制裁に頼り過ぎてはいけない

安全で整った社会を手に入れる一方で、私たちは「息苦しさ」という静かなコストを支払っているのかもしれない。単純な比較はできないにしても、世界幸福度レポートにおいて、日本の「他者への寛容さ」に関する指標が先進国の中でも際立って低い水準にあることとも無関係ではないように思える。

では、このような時代において、持続可能な社会とはどのようなものであるべきか。そして企業には、どのような役割が求められるのだろうか。ここでは三つの視点から考えてみたい。

第一は、社会の「寛容性」を経営課題として捉え直すことである。

SDGsは環境・経済・社会の三つの側面で語られることが多いが、これからはその土台として「寛容性」を意識する必要があるように思う。

法や罰則、規則に判断を過度に依存する社会は、一見すると堅牢に見える。しかし実際には、規範が外部化されるほど、人々は「何が望ましいか」ではなく、「違反でなければよい」と考えやすくなる。

すると、条文の隙間を突くような行動や、形式的には適法でも趣旨には反する行為が増えていく。これはコンプライアンスが本来目指していた姿とは、むしろ逆方向の結果でもある。

反対に、相互の信頼や配慮によって規範が機能する社会は、条文の数を増やさなくても秩序を保ちやすい。長期的に見れば、その方が低コストでしなやかな社会である。

■コンプライアンスの先にある「文化」の追求を

第二は、コンプライアンスの先にある「文化で支える組織」を再発見することである。たとえば、パワハラ防止法を守ることは最低ラインである。しかし本当に問われるのは、その先にある。

法の存在を強く意識しなくても、互いに敬意を払える組織文化をどう育てるか。取引先との関係でも、契約書を精緻にすることは必要だが、それだけで関係が良くなるわけではない。

一定の信頼で完結できる余白を、あえて残しておくことが重要なのだ。顧客との関係でも同じことが言える。カスハラから従業員を守る制度を整える一方で、そもそも過剰な対立が生まれにくい接点やコミュニケーションの設計を考える必要がある。

ルールは不可欠だが、文化が機能しなくなった領域を埋める「最後の手段」として位置づける視点を失ってはならない。

■法的制裁に頼り過ぎてはいけない

第三は、「余白のインフラ」を社会に提供する主体としての自覚を持つことである。ここでいう余白のインフラとは、効率化、可視化、契約化が進む社会の中で、なお意図的に残しておく余地のことだ。

たとえば、偶発的な対話が生まれる空間、急がず関われる時間、すぐに損得へ回収されない関係性、地域の文化や習慣を受け止める場などがそれにあたる。

特に地域に根差す企業にとって、この視点は重要である。まちづくりの仕事に関わっていると、関係人口の創出、公民連携、地域共創など、さまざまな文脈で企業に期待される役割が着実に広がっていることを実感する。

地縁や血縁が弱まり、共同体的な相互信頼が働きにくくなった地域において、企業が人々の接点や居場所を支えることで、法的制裁に頼りすぎなくても規範が共有される土壌を育てることができる。この役割は今後、さらに重要なものとなっていくだろう。

こうして見ると、113項目に及ぶ自転車の違反リストは、単なる交通ルールの話ではない。私たちの社会に対して、「ルールを増やして安全を買うのか、それともルールに頼りすぎない文化を育てるのか」という問いを投げかけている。

もちろん、答えは二者択一ではない。最低限の制度で土台を守りつつ、その上に「守らなくても守られる」関係性の層を重ねていく。そんな二階建ての設計こそが、息苦しさを深めずに持続可能性を高める道なのだろう。

ルールを守ることと同じくらい、余白をどう残すかに知恵を使うこと。これからの企業には、その両方が求められる。

制度と文化をどう両立させるか。管理と信頼をどう編み合わせるか。持続可能性を本気で考える企業にとって、これは今後ますます重要なテーマになっていくだろう。