2010.01.28
生まれて初めて「Blue-Ray」DISKなるものを購入!
マイナー路線をこよなく愛する自分としては、我が家のビデオも今は亡き「HD-DVD」という東芝の規格のものを不便を感じながら使っているので、当然対抗勢力であった「Blue-RayDISK」は見れない
しかしである。「バイオハザード5」がやりたくて買った「PS3」ではなんとBlue-Rayの再生ができるのである!しかもHDMIでの再生で! ・・・って皆さん知ってるよね・・・
正直、最近、やたらとリアルなゲーム画面をHDMIの高画質映像で見ながらやっていると、特にバイオのようにグロテスク系のものは、船酔いをしたように気持ちが悪くなる・・・(これはホント)
でも、「ガンダム戦記」ではそのリアルさがたまらない。
でも、CAPCOMの、バイオハザードの新シリーズを出す度に違うゲーム機で出して、そのゲーム機本体の販売を促すという販売戦略はいかがなものかと思い続けて早10年、次はもう新バイオのためにゲーム機を新規購入するようなことはしない宣言。。。
どうでもいい話になっているので、話を戻すと、そんなBlue-RayのDISKを生まれて初めて買ったのであるが、それがマイケル・ジャクソンの「This is it !」である。
これを見てマジでびっくりした。マイケルさん、ヤバい。カッコよすぎる
何気なく指さす腕の角度とか、足の置き方とか、膝の角度とか、なんつー芸術的なまでに洗練されているんだろう・・・と、他にも見るべき点が多々あるビデオにも関わらず、そんなところにやたらと目がいってしまった。
これは買う価値ありです
マイケルさんのご冥福をお祈りします・・・
2010.01.26
昨年末に、とあるノリで作った団体、「日本雨女雨男協会」に全国の支部ができはじめていて、みなさん楽しみながら関わってくれているようだ。
その団体名は、雨男→雨女の順ではなく、雨女→雨男の順番になっている。
これについて、皆さん、レディファーストということでとらえていただいていて、それはそれでいいのだが、もうちょっと意味があるので、解説をしてみた。
そのために少し調べていたら、日本の妖怪というものは本当に奥深いということを再認識させられた。
元々、水木しげるさんの妖怪の絵が大好きで妖怪好きな自分であったが、妖怪の持つユニークさの中の自然への尊敬や畏怖の念の大切さに気付いたのは大人になってからである。
写真は水木しげるさんが描かれた「雨女」の絵であるが、江戸時代に刊行された「今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)」と呼ばれる書物の影響が色濃い。(こちらの詳細は下記のブログを参照ください。)
■日本雨女雨男協会記事はこちら■
http://blog.canpan.info/rainypower/archive/5
ただいま、新規会員も大募集中なので、我こそは、という方はぜひご参加を!
2010.01.22
「CANPANプロジェクトのあるべき姿とは?」・・・
年度末というのは、来年度の事業計画や予算を考えなければならない。
その中で、昨年の11月くらいからずっと冒頭のこのテーマについて考えている。
いや、毎年、この時期には必ず考え続けて悩んでいる(笑)
ある意味、中長期戦略を毎年見直しているようで、恥ずかしいのだが、そのくらいCANPANプロジェクトは可能性もある一方、運用や見通しが難しくもある。
結果として一年前の資料をひっくり返して読んでみると、戦略的な軸はぶれていないのだが、想像していた戦術など全く採っていない場合も多く驚いてしまう。
つまり、それだけCANPANプロジェクトとは変転流転、走りながら形が作られているということかもしれない。
CANPANの企画を最初に考えた時、「CANPANとは、公益業界における社会実験場」と位置づけたが、「公益業界における」が今は取れたものの、社会実験場である性格は変わっていないということだ。
個人的には、「一寸先は闇」状態が嫌いではない。10年後が不安という人の話をよく聞くが、生きているかもわからない10年後の心配などしたくないし、そもそも10年後の未来がわかって楽しく生きていける気がしない。
一寸先が崖では困るが、少なくとも闇でも「一寸先は前」であれば、あとは少しずつでもいいから進んでいければいい。
前置きが長くなったが、「CANPANプロジェクトのあるべき姿とは?」を考えているうちに、「シナジーメーカー」という言葉が生まれた。
Googleで調べてみたが、そんな言葉はないようなので、「ソーシャルエリート」に続いて、この「シナジーメーカー」という言葉も世に送り出すことにした。
■ソーシャルエリート■
http://blog.canpan.info/cosmo/archive/219
「産官民学」の連携や協働ということがよく言われるが、これらの領域は黙っていたら正直つながらない領域である。
逆に言うと、社会がうまくいっている時には、これらの領域は別につながらなくてもいい領域とも言えるが、今の複雑な社会課題の解決には、これらの領域がつながらなければ解決などおぼつかない。
したがって、それらをつなぐ触媒の役を果たす機関なり、制度なり、人が必要だ。
日本財団は、それになろうとしている組織の一つであるが、それは誰でもできるというわけではない。
それぞれの領域とつながっていて、それぞれの領域の特性を知り、さらに言うと、まるでシェフのように食材と食材のコンビネーションでおいしい料理を創るにも似た、アレンジができなければならない。要はプロデューサーである。
それができると、そこにはそれぞれの強みが活かされ、弱みを補完し合う素晴らしいシナジーが生まれ、結果として社会が良くなっていく、という構図が出来上がる。
これを生み出すプロジェクトとしてのCANPAN。
うーん、なんだか今のCANPANの状態にすごく似ている気がしてきた・・・のである。
シナジーメーカーとしてのCANPAN、「我こそは!」という方はぜひ本プロジェクトに力を貸してほしいし、関わって欲しいと思う。
2010.01.18
CANPANプロジェクトでは、この度、「ソーシャルエリート」という造語を考えた。
これは、NPOはもとより、社会企業家と呼ばれるような方々のうち、特に「社会を良い方向にシフトさせるパワーを持った人」を指す。
世の中を良くしたいという思いを持っている人が世の中にはそれこそたくさんいる。
が、それらの思いやアイディア、企画などを具体的な行動にうつせる人というのはその中でも本当にごく少数だ。(寄付も行動の一つではある。)
そして、そのアクションを、「社会を良くするソリューションの提供」にまで高められる人に至っては砂漠でダイヤを見つけようとするくらいに激減する。
逆に言えば、社会的に見るとその人たちはとてつもなく大きな「人財」ということだ。
これらの人々は、少なくとも長者番付に載るだけの資産家などよりも社会的にはリスペクトされるべき存在であるはずだが、どうも世の中でいうところの「エリート」という見方をされていない気がする。
それは、一つには、その人たちを指す言葉が無かったからではないかと気づいた。
社会起業家もその枠の一つであるが、起業しなければいけない必要は必ずしもないので、より包括的な意味での言葉が必要だ。
そこで、そんなリスペクトされるべき存在、または憧れられる存在、他の人からロールモデルとして位置づけられるような存在としての造語として「ソーシャルエリート」という言葉を世の中に送り出したい。
ちなみに、お金をたくさん稼いでそれを寄付するという行為は、リスペクトには値するが、ソーシャルエリートではない。ソーシャルエリートは、それでもって世の中を変えることができた人にこそ贈られる名誉ある称号だ。
政治家は、立場上、このソーシャルエリートに最も近い領域に住むことも可能な住人達だが、本国会の汚い野次などを聞いていると、朝青龍ではないが、品格というのもソーシャルエリートの要件な気もしてしまう。(あの品の無い連中は、自分を恥じるべきだし、そんな人物を国会に送り出している地元民はもっと恥じるべきだ。)
まあ、それはともかくとして、近々、「勝手に認定ソーシャルエリート大賞」というものをやってみようかな・・・
2010.01.17
あれから15年の月日が流れたと思うと、不思議な思いにとらわれる。
以来、神戸の街には幾度か足を運ぶ機会があった。今では震災があったことなどにわかには信じられないほど、街はかつてのにぎわいを取り戻している。
しかし、自分の中では、やはり神戸はあの震災の記憶のほうが強い。
■君こそ英雄 (私の神戸関連ブログ記事)■
http://blog.canpan.info/cosmo/archive/11
■君こそ英雄2 (私の神戸関連ブログ記事)■
http://blog.canpan.info/cosmo/archive/15
埃臭さの中に時折交る焼けた街の臭い。喧騒と静寂が同居したようながれきの山の上に抜ける澄んだ青い空。
夜になれば山のほうから、にわか雨に洗われたアスファルトのような臭いが、冷たい強い風と共に運ばれてくる。
なぜか視覚的な感覚よりも嗅覚的なところで記憶が強く残っている。自分にとっての神戸とは、そんな街だった。
視察の時に、とある重度の身体障害をお持ちの方のお宅に伺うことがあった。
障害を持った身で被災者となることの心細さは健常者以上だろうと思っていたら、その方は、元々不自由だからたいして変わらない、と言っていた。自分にとっては何かショックな一言だったが、その理由が当時の、公益に興味がほとんどなかった自分にはよくわからなかった。
今はよくわかる。
そんな自分が、企画して立ち上げたCANPANというウェブサイトは、昨年から「CANPANプロジェクト」として、単なる情報インフラの枠を超え、社会課題解決のためのソリューション提供のプロジェクトになった。
その一環として協力したのが今日のイベント、「ユニバーサルベンチャー・ビジネスプランコンテスト」である。
■ユニバーサルベンチャー・ビジネスプランコンテスト■
http://universal-venture.jp/
障害をお持ちの方が、自らが起業するためのビジネスプランを考えて自らプレゼンをする。
これは本当に素晴らしいきっかけを生み出す可能性のあるコンテストだと思う。
今回は第一回目、まだまだこれからの部分もあるが、可能性に期待したいし、このコンテストが進化していくことで、また社会の大きな課題の一つが解決に向かっていくことだろう。
15年前のあの震災は、部落問題をはじめとする災害とは直接関係のない様々な社会課題も浮き彫りにした。
その課題に正面から向かい合いがんばる人たちが神戸にいた。
その人たちを見て、「ボランティア元年」という言葉も生まれた。
この定義は正しくないと思う。あの、日本人が経験したことのない近代都市の大震災の中ですら、日本人は人間としての尊厳を失わず、都市はそれなりの秩序を保っていた。
そんな日本人は、世界に向かって日本人であることを誇りに思っていい。
だから、元々日本人の中にあった助け合いの精神をボランティアと呼ぶのならそれもいいだろうが、それを元年などと定義づけるなど、全く無意味だ。
それはともかく、障害を持っているから起業してはいけないなど誰も決めていない。障害を持っているから社会から助けられ続けて生きていくしかない。そんな風に定義してしまうのは健常者のエゴだろう。
そんなことを証明してくれるような素晴らしい企画とアイディアで本当に起業し、ビックビジネスが立ち上がる日を楽しみにしている。
今日という日、または今年が、まさにユニバーサルベンチャー・ビジネスの「元年」になってほしいと切に思う(笑)
ファイナリストのみなさん、本当にお疲れさまでした!
そして、神戸の震災で犠牲となられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。